

相手の立場になることのむずかしさ(チャオズ)
自分が良かれと思ってしたことでも、無駄になってしまったり、おせっかいになってしまったり。本当に、その人の立場になって考えるのって、むずかしすぎます。結局、自己満足で終わってしまうことの方が多いのでは?
日々、変化する要望にいかにこたえていくか(kazuko・未婚・30歳)
災害や、テロ事件でのボランティアでは、日々、助けて欲しい人の要望が変わるでしょう。その状況で、自分がどの場所で、何ができるのかを調べる必要があると思います。神戸での震災時、炊き出しのボランティアをしましたが、そのメニューや時間も、される側の立場で考えないと、ただの押し付けになってしまうことを実感しました。
自分のできることをできる範囲で(ドナルドダック)
ボランティアや福祉について、考え、悩んだ時期がありました。今は、偽善者でもいい、いないよりはまし、と考えています。でも、たしかに、高橋さんのおっしゃるとおり、相手に、自分を押し付けているのは、ちがうと思います。わたしは、あるNGOのメンバーですが、始めてから15年になります。そのコツ(?)は、自分のできることを、できる範囲でやること。そうすればけっこう、楽しいですよ。

好意が悪意に変るとき(yomi)
家庭環境が不遇と思われやすいわたしは、多くの人が同情、好意を寄せてくれました。「あなたのために」という好意を拒否した時、その好意は悪意に変わります。ボランティアの中に、悪意に変わる何かがあるなら、それはもう、ボランティアとは言えないのではないでしょうか?
本当の達成感を得るためには(paoon)
わたしは、あいている時間を利用して、なにかお役に立てればと、ボランティアを始めました。ところが、なにをするにしても、準備や後片付けが必要で、いわゆる雑用という仕事が、重要になってきます。それなのに、本番だけを求めるボランティアの多いこと。しかも、責任感がなくて、なかなか定着しない。自己満足というか、本当に誰かの力になりたいと思ったら、もっとちがった角度で、活動ができると思います。そのとき、本当の達成感が得られると思います。

自然に手をさしのべることのできる人は(すてねこ・大阪・未婚・32歳)
確かに、無償で、献身的につくすことって、なかなか大変なことだと思いますし、ボランティアなさってる方には、頭が下がる思いをすることも多々あります。しかし、心理・精神的な問題にかかわったときは、複雑でした。「自分だったらこうして欲しいから」って思う気持ちだけが先走って、価値観などを押しつけて、受ける側にとって、本当に助けになっているのか、と思うことが、けっこうありました。また、受ける側の感じ方も理解せず、「これだけやってあげた」と満足されてる方も、少なからず、いらっしゃいました。状況や、内容にもよっても、かなり違いますが、本来、自然に手をさしのべることのできる人は、「わたしはボランティアしてる」ってあえていわないんじゃないでしょうか?
ボランティアの押し売りはしてはいけない(steammilk)
たとえば、やっている本人は、「ボランティア」のつもりでも、相手にしてみたら「いい迷惑」なことってありますよね?相手の気持ちを考えず「自分のボランティア精神を貫くだけ」のボランティアは、かえって迷惑なこともある、ということなのではないでしょうか。わたしは中学生の頃、弦楽合奏部に入っていて、部の活動で、老人ホームに慰問に行きました。ほとんどの方は、涙を流しながら楽しんで、喜んでくださいました。だけど、中には「年寄りだと思って馬鹿にして! 」と叫ぶおばあちゃんもいました。ボランティアの押し売りはしてはいけないと、その時、学びました。
しっかりと人間関係を築くこと(つっち・兵庫・既婚・36歳)
わたしは、神戸に住む主婦ですが、震災の時のボランティア活動に、助けられました。そして、その後、ニューヨークに移り住んでからは、現地の年配のアメリカ人から、ボランティアで、英語を教えてもらっていました。その後、帰国して、今は、日本語を教えるボランティアをしています。自分よがりになってしまいがちなのは、ボランティアを受ける側の人が、少し引け目を感じているので、本当にして欲しいことを、率直に言えない場合に起こるのではないかと思います。今は、ボランティアを受けている立場であっても、ボランティアをする立場にもなるのですから、しっかりと、人間関係を築くことが、大切だと思います。

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