手術したい医師、練習台になりたくない患者(2003年9月27日)
医療過誤に対する妙な構え方
医師たちは、最近の医療過誤裁判についてちゃんと勉強しているのでしょうか。最近、自分が経験したことから、そんなことを思いました。
先週の後半、胃の調子が悪く、近所の内科へ行きました。個人名の付いた医院ながら、東大から医師が派遣されたり、また曜日、時間によって担当する医師が変わったり、理学療養室があったり、内視鏡検査などもそこでできたりする、小さな病院みたいな内科です。
数日前から婦人科で出されたピルを服用していること、そのピルを使うのは2年ぶりだが以前は胃の不調はなかったこと、今朝から発熱したことなどを説明すると、「風邪で腸がやられても、胃がやられるはずがない」と言った後「胃の検査をしてるか」と問われました。
「職場の健康診断で、年に一度、バリウム検査をしてる」と答えたところ「あんな安い検査じゃ、病気は見つからない。第一、一回しか撮影しない」「検査中、何度も体位を変えて撮影してても、一回しか撮ってないのですか?」「そうです」そして薄笑いしつつ「ああ、検査はね、内視鏡検査を勧めたって、ちゃんとカルテに書いておくからね。数カ月して『ガンが見つけられなかった』と訴えられても困るから。多いんだよ、今。裁判」
わたしは法律事務所で事務の仕事をしてます。保険証を見ればわかるのです。だからそんな口調だったんでしょうか。胃痛と発熱を訴える患者を目の前にして、その体調よりも自分が裁判に巻き込まれるかどうかが心配な医師って、珍しいとは思いますが最近、医師は集まるとそんな話題で持ちきりなのでしょうか? ちゃんと法律家を招いた勉強会を、やっているのでしょうか。
ニュースを見てると、裁判になるのは、やはり人間の不注意が原因の場合が多いと思います。ガーゼを体内に置き忘れたとか、点滴の濃度を間違えた、検体が他人のものとゴチャゴチャになり、診断ミスした……。患者の取り違えなんかもそうですよね。きちんと医療裁判の勉強をしてほしいのは、現実に何が「医療ミス」になっているのか認識してほしいからです。
私見ですが、その時点の医療水準の中で、知識と経験を踏まえて誠実に出された診断に対し、それが重大な「ミス」という結果になったとしても、裁判所が過失ということで踏み込むことはないのではないかと、わたしは思います。そんなことでは先端医療や新薬を使う医療に挑戦する医師はいなくなり、それが医学の停滞をもたらすと思うからです。
今回の慈恵会のケースは、先端医療そのものが原因ではなく、己の実力を過信したか、子どもじみた功名心がその原因だと思います。これはミスの範囲を超えていると思います。
日夜誠実に、自己の力を省みながら先端医療に取り組む医師たちの抱えるものと混乱されることのないようにと祈っています。(ぱりじょな)
患者=弱者の図式を打ち破るために
慈恵医大青戸病院の医療過誤についてのコラム、読んでいてなるほどなと思いました。最近は医者のミスが多いような印象があり(マスコミが取り上げる機会が増えて、そう見えるだけなのかもしれませんが)、ちょっとした病気なら医者にかからないほうが長生きできるんではないかと思うくらいです。
手術の最中に、器具の使い方をメーカーの営業に聞いていたなんて話を聞くと、本当にこの人たち、医者なの?と思わずにはいられませんでした。最新鋭の機械だから操作がわからない、なんて言い訳が通用するとは思えません。
藤田さんのおっしゃるように、医者も技術を習得しなければ生き残れないと、焦っているのだなあというのは本当のところでしょう。実際に執刀した医師の年齢を見ると、それほど若い(研修医とか医者になってすぐとか……)というほどでもないのに、なぜこんなことに?と思いました。
ブラックジャックに、「研修医たち」というタイトルのお話があります(タイトルはうろ覚えですが)が、今回の事件で思い出しました。若い医者たちが、技術を磨きたくて、上司にあたる教授にお願いするんですが、上司は拒否。こっそりと自分たちで手術をしようとして、でも自信がないから、ブラックジャックを雇おうとする。
手術代が高いということで、立ち会いは断るんですけど、患者の命が気がかりになって、ブラックジャックは立ち会い、最後はブラックジャックが手術をする羽目となり、「もっと上司の元で修行しろ」と研修医をしかりつける……。でもその手術には、その上司も患者の命が気になるからと立ち会っていたということが最後の最後にわかるという……。
慈恵医大青戸病院の院長の会見、活字でしか見ていませんが、「最先端の技術のためには仕方ない」というようなコメントが載っていて、結局こういう医者のいる病院のトップも、患者の命って重く見てないんだなあ……としみじみ思いました。
自衛のためには、患者がもっと自分の体のことを知り、治療について調べ、優秀な医者を探し求める姿勢が必要なのでしょうが、年配のお医者さんの中には、まだまだ患者は医者の言うことをだまって聞けばいいという考えの方が多いように思えます。ちょっと細かいことを質問しただけで、怒る先生にしょっちゅう出会います。仕方なく、医者を変えて同じ質問をして、同じ結果になると、まあ、そうなんだろうなと納得することが多いです。同じ検査を二度やるなど、弊害もありますけど。
一番の問題はカルテや検査結果のデータが、本来は患者のものであるにもかかわらず、医者のもの(病院のもの)という意識がどこかにあるのでは、と思います。複数の医者にかかろうとしても、案外これが弊害になっています(頼めば持ち出せるんでしょうけど、素直に出してくれる医者がどれだけいますかね……)。
患者にデータを持たせて、いろんなところにかかれる仕組みがもっとあれば、少し違ってくるのでは。セカンドオピニオンをとるのは当然、医者だって人間なんだから、間違うこと、見落とすことはありうる、だからこそ複数の医者にみてもらって念を押す、そういう風潮に持っていかない限り、いつまでも患者=弱者、ついには実験台となってしまうのでしょうね。怖い話です。(たれまま)