「話題」の白ずくめ集団
藤田正美(ふじた・まさよし)
『ニューズウィーク日本版』編集主幹
2003年5月10日
「白ずくめ集団」が話題になっています。小泉首相まで「なんでああいうものを信じるのか。わからないなぁ」などとコメントする始末で、今や国民的話題ですね。もっともこれはオウム真理教の事件を経験したため、カルト教団に対するそこはかとない不安感が、わたしたちの間に漂っている結果なのかもしれません。
マスコミが監視する権力
現代の日本において、というより信教の自由を保証している先進国の政府にとって、宗教集団は「取り扱い注意」の最たるものです。下手に動けば「宗教弾圧」になりかねないし、報道の自由を標榜するマスコミは、権力による宗教弾圧に敏感だからです。
オウムのときも、警察はかなり早い段階から、オウムを要注意団体として監視してきました。しかし結果的に松本サリン事件、そして地下鉄サリン事件で多くの犠牲者を出してしまいました。それこそまさに、オウムが宗教団体であったから、警察もうかつに手を出せないでいたのです。こうした経験があるから、警察庁も、パナウェーブ研究所について「宗教団体が変質しないかどうか注視していく」と国会で答弁しています。
警察の役割、マスコミの役割
現在の段階ではそう言うしかないでしょう。奇妙な行動で地域住民に不安を与えているとはいっても、彼らを強制的に解散させることはできないはずです。だから警察は「無余地駐車違反」とか「車両整備違反」とか明らかな法令違反でしか取り締まれません。その意味では、警察の対応は極めて冷静なものです。一方マスコミは、「こんな奇妙なことをしている連中がいる」という、野次馬的報道しかしていないようにも見えます。「今日はこっちに移動した」とか、「どこどこに向かう」とか、まるでマスコミが団体を監視し、目的地となった地域の不安をあおっているかのようです。
警察とマスコミのこうした姿勢を見ていると、役割が逆だとも思えます。つまり権力は社会の治安を守るという名目の下に、こうした団体を規制しようとし、それに対してマスコミは思想・信条の自由を掲げて権力をチェックするというほうが健全ではないでしょうか? なぜなら、権力の側は常に世論の動向を見ながら、規制の網を広げていこうとする側面があるからです。マスコミが世論の感情をあおってしまうと、権力をチェックするものがなくなります。
健全を支える寛容
近代社会は「異質」なものを抱え込んでこそ健全でいられます。もし自分たちと違うものを排除するということになると、国境を超えてヒト・モノ・カネが流れるこの時代に取り残されてしまいます。その極端な例として北朝鮮をあげれば、明らかだと思います。だから、こうした団体をマスコミが注目しなければならないのは当然だとしても、排除の論理に立ってしまうのは厳に慎まなければならないと思います。世間の感情論に流されることなく、やはりきちんとした論理をもって報道しなければ、やがてはこうした団体に石を投げるような風潮になってしまうかもしれません。マスコミに身を置くわたしとしては、それを恐れます。
関連リンク
オウム裁判から湧き起こる司法、警察、そして人権への疑問(「私の視点」2001年4月26日)
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