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根本かおるさん
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専門性を身につけたい
- 根本
そういった思いもありましたね。アナウンサーとして自分で限界も感じたりして、入社3年目ですでに報道局に移ったんです。永田町および霞ヶ関を担当する女性記者という形で。
- 佐々木
初の女性記者?
- 根本
政治担当で、腰を据えて長期にわたって取材をするという形では、テレビ朝日にとっては初めてだったと思います。同時期に何人かいらっしゃったんですけれども。
- 佐々木
そうですね。私がニュースステーションに入れていただいたのは87年だったけれども、女性が多くない印象でした。
- 根本
そんなわけで、永田町および霞ヶ関が、次の転機を与えてくれた、と。
- 佐々木
霞ヶ関が?
- 根本
どういうことかというと、当時は、日米通商摩擦がとても華やかで、それをリポートするというのが私の主な業務だったんですけれども、アメリカに暮らしたこともなく、アメリカのことも知らず、それでアメリカの政策をあたかも知っているようにリポートしているっていうことが、どうも落ち着かなかったんですよ。
それで、やっぱりアメリカという大国に、一度は腰を据えて勉強したいな、と。そこから、徐々に留学というものを意識する、および専門性を身につけたいという気持ちが強くなりました。
- 佐々木
そう思ったのが、20代の終わりですよね。私も同じように、その頃、ニュースステーションのリポーターをさせていただきながら、小宮悦子さんと、「留学したいね」と毎年二人で大学院のパンフレットを取り寄せてたんです。でも全然行かれないで。私は、辞める決断ができなかったんですね。
根本さんも、東京大学を出て、難関を突破してアナウンサーになって、政治記者として「初の」ってつくようなポジションに来ていて、それをポンと辞めるっていうのは、いくら勉強したい意欲があったと思っていても、かなりの決断ですよね。
- 根本
いや、決断というか、自然にそういうふうになっていったんです。「神のお導き」っていうのはおかしいですけれども、心で、やっぱり国際的なことに関わりたいという思いがあったと思うんですね。
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