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根本かおるさん
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アジア人として、かなり「区別」されました
- 根本
子どもの頃、小学校3年生から中学1年生までを、父親の仕事の関係でドイツで過ごして……。まだ70年代の初めでしたので、日本はまだ、今のような経済大国ではなかった。その中でアジア人として、かなり「区別」されたことがあるわけですね。で、やっぱり「悔しい」と。
- 佐々木
あえて「区別」と(笑)。
- 根本
(笑)本当に悔しいと思った。あと、自分は何とかサバイブできたけれども、当時のドイツには随分、移民労働者としてトルコ人等が来ていて、同じクラスにもトルコ人の子どもがいましたけれども、そういう人たちが、やっぱりすごく苦労をしていた。そういうものを見ていて、子ども心に、「外国人というのは、何かしら、保護というのが必要なんだな」ということを、すごく感じていたと思うんですね。
- 佐々木
一般の、パブリックの学校に行っていたんですか?
- 根本
そうです。ドイツ人の学校に行っていました。ABC(アーベーツェー)も分からず、親が入れてね。泳ぎきることが、何とか、私はできたけれども、できない人が多いと思うんですよ。
- 佐々木
そりゃ、そうですよね。英語も分からない小学生が、ドイツ語。
- 根本
そうですね。小学3年生から、4年間近くですね。本当に多感な時期を過ごして。
- 佐々木
どんな辛い経験を?
- 根本
まず、日本が世界地図の中でどこにあるのか、みんな分からない。あと、道ですれ違ったときに、「アジア人め!」と、からかわれるわけです。「あっちへ行け!」みたいなこととかも、ないわけじゃなかったし。あと、交通機関、電車に乗っているときに、突然、大人に吠えられたりとかね(笑)。
- 佐々木
え?
- 根本
いろいろありますよ。
- 佐々木
それを、どうやって乗りきったんですか?
- 根本
やっぱり、まず言葉を覚えないといけないですよね。普通の学校に入ってしまったので、宿題も普通に出て、こなしていかなければならない。それで、「自分の特技は何だろう?」みたいなことを、やっぱり子ども心にパッと考えたんですよね。で、圧倒的に私は他の人たちよりも算数ができると分かったわけですね。で、みんなの算数の宿題をやってあげるから、私にドイツ語を教えて、あるいはドイツ語の作文を手伝って、みたいな感じで。
- 佐々木
すごいですね。それを小学校3年生で?
- 根本
そうですね。
- 佐々木
さすが。それが、優秀な子どもの考えることなんですね。
- 根本
いえ。それと、やっぱり日本人は一般的に手先が器用。ちょうどクリスマスの時期だったので、クリスマスの工作をしていたんですが、みんな不器用なんですよね(笑)。それを、上手に作ってあげて、「ほら」っていうふうにやると、「カオルがやると、きれいだね」っていうことで。それで、ちょっと(笑)。
- 佐々木
仲良くなったりとか。
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