ホーム > 佐々木かをり対談 win-win > 第17回 志村季世恵さん

17 |
志村季世恵さん
|
|
|
幼いころに直面した「生まれること、死ぬこと」
- 志村
でもいい面もあって。一番上の姉が18も年が違うものですから、わたし、小学校1年生でもう叔母さんになっちゃってるんです。
- 佐々木
お姉さんが24歳で出産されたわけですね。
- 志村
そう、それで早い時期にめいっこやおいっこをだっこして世話をするでしょ。そうすると、子どもを育てるということが、なんとなくわかるんです。
なぜかというと、遠巻きで、姉の変化が見られるわけです。「お母さんになって、こういうふうに変わるもんなんだ!」っていうのを、体験した。子どもなりに見てるんですよね。「こうやって子どもに、おっぱい飲ませるんだ」とか。女がはっきり変わっていく姿っていうのを、子どものうちに見てるんだと思うんですよね。
人の生き死に、っていうのも家の中にいっぱいあったんですよ。身内で大事な人が死んでしまった、ということも何度か経験しているんです。父も体をこわした時期があって、生きるか死ぬかということもありましたし、すごくリアルに、命というものに対して、幼いうちに触れました。
人って生まれてくるし、死んでいくんだ、と。自分自身も体が弱いものですから入院していれば、友だちが死んでしまったりするでしょう……。そういうことっていうのは、今の自分には密着していると思うんです。
- 佐々木
病院に入院して、友だちや家族が亡くなるということが、小さい時に体験としてあったんですか?
- 志村
わたしは父や母に無条件には、甘えられなかったんですよ。環境的に兄や姉の手前があったし。それで、一番甘えさせてくれる人がわたしの伯父だったんです。その伯父が、わたしが3歳の時に医療ミスで亡くなっているんです。
もう駄目だっていう時に、母と病室の前で待っているんです。でもわたしは、子どもだから入れてもらえない。「死んじゃうんだ」って、3歳でもわかっているんですよ。それで、今会わないともう会えないんだって、子どもながらにわかるから会いたいと思うんです。
「会わしてほしい」って母から看護婦さんに頼んでもらうんだけど、「駄目です、子どもは」と言われて断られる。それで夜中になって、子どもだから眠っちゃったんですよね。気付いたら伯父はもう霊安室だったんです。
それがすごくわたしの記憶に残っていて……冷たいタイルの部屋で、「もうおじちゃんは死んでしまった」と。大切な人がいなくなるってこういうことなんだ、って。甘えさせてくれる人が急にいなくなるわけでしょう、そういう中でバランスを崩す自分もいました。
でも幸いなことに、またわたしをかわいがってくれる人が出てくるの。母の姉だったんですが。わたしの伯母で、すごく大事にしてもらったんです。でもね、その伯母も苦労がたえなくて。子どもが3人いるんですが、一番上の子が精神分裂で入退院を繰り返していて、その従姉はわたしのことを大好きで、わたしとよく話してくれた。
それでよく病院に行って見舞っていたんです。ですから、精神病院という場をわたしは小学生のころから知っていました。その下の弟は東京大学に行っていて、わたしの家庭教師をしてくれました。
そして一番の仲良しだった伯母にとって三番目に当たる子ども(娘)が突然亡くなったんです。わたしが中学一年の時に。
- 佐々木
おいくつだったんですか?
- 志村
22歳かな。その伯母や伯母の家族に大切にされながらわたしが学んだことは、「人って大事にしないと、いなくなることもあるんだ」っていうこと。
わたしは思春期に入るもっと前からわかってたんだと思うんですよね。親せき以外でもね、たとえばわたしが入院していて、隣りのおばあちゃんがだんだん衰えていって、声も出なくなって、亡くなってしまう……。それまでわたしをうんとかわいがってくれる人が亡くなっていってしまう。そんな時もやはり同じようなことを感じました。
個室に入院している時は、部屋の前の通路にベンチがあって、そこに座って隣の部屋の子のお母さんが泣くわけです。「○○ちゃんのお母さんが泣いてるってことは、もうそろそろなんだあ」とわかるでしょ。そしたら実際に亡くなってしまう。子どもなりに考えるわけですよ、命について。
そうすると、「いなくなってしまう前に、すごく大切なことがあるはずだなあ」となんとなくわかってくるんです。そういうことが勉強になった。暮らしの中で体感したんだと思う。
- 佐々木
わたしは、人が死んでいくというようなシーンに子どものころは出会ったことはなかったような気がします。大切なことを小さい時に体験されたんですね。
4/24
|
 |
|
|