ホーム > 佐々木かをり対談 win-win > 第35回 ダーシー・アンダーソンさん

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ビジネストレーナー/株式会社ユニカルインターナショナル バイスプレジデント
ダーシー・アンダーソンさん
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なければつくり出す、スキルを活かすポジション
- 佐々木
アラスカでの仕事はインターンシップだったのですか?
- ダーシー
いいえ、正社員として雇用されたのですが、正直に言って退屈していました。自分は大学の学位を持っているのだから、何よりそれを活かしたいと思っていたのです。それで自分のスキルを活かせるポジションはないかと探しました。
そのとき、エンジニアたちがプリゼンテーションが下手だということに気付いたのです。パイプラインや地下の原油については非常に知識が深くても、書いたり話したりすることはあまり得意ではありませんでした。そこで、わたしなら手助けができる、彼らのためにプリゼンテーションをレイアウトしたり、スピーチ原稿を書いたりすれば、自分にとってもおもしろい仕事になる、と思ったのです。
そこで社内の上層部に提案書を書き、それまでは存在しなかったポジションをつくり出したのです。パイプラインの現場は北極圏の、しかも岸から80キロも離れた海上にあるので、わたしは6週間1日も休まずそこで働いて、次の6週間はオフ、そしてまた6週間働くということしました。それならオフの間にヨーロッパを旅行することもできますしね。
- 佐々木
すごいですね! しかも、当時あなたは20歳ぐらいだったのでしょう?
- ダーシー
ええ、アラスカで21歳を迎えました。
- 佐々木
その年齢の人が仕事をつくり出すというのは、伝統ある企業としては、ずいぶん革新的なことだったのではないですか?
- ダーシー
むしろわたしが若かったので、誰も「そんなことはできない」とは言わなかったのです。
- 佐々木
逆に、上司が「きみはまだまだ若い。そんな仕事は存在しなかったのだよ」などと言いそうな気もするのですが。
- ダーシー
そうならなかったのは、アラスカという土地柄もあると思います。これがもしニューヨークとかコロラドとか、ほかの場所だったら、20歳の若僧が新しいポジションの提案をするなどというのは少し生意気だったでしょう。でもアラスカでは、誰もがしなければならないことをするのです。わたしたちはパイプラインのプロジェクトをしていて、彼らはプリゼンテーションが得意な人々ではない。だからわたしが彼らの手助けをすることが必要だとわかっていたのです。
残念なことに当時はパワーポイントもなかったので、スライドや図を作成したり、プリゼンテーションの場でどう話せばいいかを教えたりする必要がありました。
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