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アナウンサー・ビジネスコミュニケーショントレーナー
山口容子さん
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女性として、アナウンサーとして、節目の年にテレビ朝日退社
- 佐々木
現在では、講師としても活躍されている山口さんですが、せっかく小学生の時から強く明確に描いていた夢である「ニュースを読む人」になれたのに、テレビ朝日を退社したのはなぜだったのでしょう?
- 山口
それがですねえ、パートナーがね、海外転勤になっちゃったんです。香港に行くことになって。
その前の年に子どもを産んだのですが、当時はまだ育休なんてものはないので、産休と代休を合わせてめいっぱい3カ月いただいて、戻ってきた直後に主人に内示があったんです。本当ならもっと遅いんだけど、会社の方がわたしの仕事に配慮してくださって、すごく早い段階に内々に打診があったんです。それが90年かしら? 息子が生まれたのが89年ですから。ちょうど30歳になるかならないかっていう、女性としても、アナウンサーとして画面に顔出しする仕事としても、一つの曲がり角の時期で。
- 佐々木
今から思うと30歳なんて、と思いますけど、つい10年前は画面に出ているのが20代ばかり、ってことあったものね。
- 山口
子どもの保育園の迎えに間に合わなくって、もう電車の中でもバスの中でも、走りだしたいくらいせっぱつまった状況の中で、彼一人香港にやって、じゃあ、わたしは乳飲み子抱えて局アナの仕事を続けられるの?って。それは難しいなあ……って思っちゃって。今ならね、「行ってらっしゃーい! お一人で!」ってなるけど(笑)。
- 佐々木
あっはっは。確かにねー。
- 山口
ちょうど会社員としてもアナウンサーとしても切ない時期よね。で、それを人に相談したら、「君ねえ、人生には流れっていうのがあるんだよ。流れにのってみれば」って言われて。「じゃあ、のってみよう」かと。
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