ホーム > 佐々木かをり対談 win-win > 第42回 江端貴子さん

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江端貴子さん
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女の子は、手に職を持つように
- 佐々木
今では考えにくいようなことが、当時はどの企業の中にもありましたよね。これまで、大学を卒業してから就職、そして海外留学・・・と、主にキャリアに関するお話をうかがってきたのですが、何事にも積極的にチャレンジなさる江端さんをお育てになったご家庭というのは、どのようなものだったのでしょうか。ちょっとご家庭のお話もうかがいたいのですが・・・。
- 江端
生まれ育ったのは、基本的には東京です。ひとりっ子なんです。父は普通のサラリーマン。実は私、父が52歳の時の子供なんですよ。母は30歳を過ぎたころ。だから父とは20歳くらい年齢差があって…。
- 佐々木
ひとりっ子で愛されて…。
- 江端
けっこう、まあ…(笑)。で、母は完全な専業主婦でした。でも母は、小さい時から、「女の子とはいえ、手に職を持たねばダメだ」というタイプだったんですよ。
- 佐々木
へぇ、ステキ。それはどうして?
- 江端
うーん、「これから世の中、生きて行くためには、女性でも何かあった時のために、一人でやっていける人間でなければダメだ」とか言って…。 小さい時からずっと、それですり込まれていたので…。
- 佐々木
「完全な専業主婦」とおっしゃるお母さまが、「女は手に職」なんて、面白い。おいくつの頃?印象的な出来事があったというわけではなくて?
- 江端
そうではなくて、もう、常々言われていたという感じですね。私、小・中学校までは、すごく優等生だったんですよ。親の言うことを何でも「はい、はい」と聞く典型的な。そのうえ勉強も一生懸命やるし、スポーツも一生懸命やるという、典型的な優等生だったんですね。
母は典型的な昭和ひと桁の女性なので、とにかく「いい学校に進学して、いい会社なり、いい職業なりについてほしい」という考え方でした。職業なら、弁護士とか医者とかになるというのが、母の夢でした。
- 佐々木
典型的な昭和ひと桁、ではないような……。娘本人にそうさせたいとお考えだったのですか?そういう人を婿に迎えろというのではなく?
- 江端
そうです。自分がそうなりなさいという母でした。
- 佐々木
私の母も昭和ひと桁ですが、結婚をしろなどとは一度も言わなかったし、ずっと仕事をしている娘だと思っていたようですが、弁護士になれとかは言わなかったなあ。それはまあ、才能の違いだと思いますが(笑)。
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