ホーム > 佐々木かをり対談 win-win > 第47回 伊藤 隼也さん

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写真家・ジャーナリスト(医学ジャーナリスト協会会員)
伊藤 隼也さん
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1人1人が社会をつくる
- 佐々木
ところで伊藤さんは東京生まれですか?
- 伊藤
ええ、東京生まれの東京育ち。
- 佐々木
子どもの頃は、どういうふうに育てられたんですか?
- 伊藤
けっこうわがまま放題に育てられたかもしれないですね(笑)。親父はいわば昭和をずっと、右肩上がりのときに企業戦士として一生懸命に仕事をしていましたから。もちろん、ものすごく恵まれた環境で育ったというわけではないけれど、そんなに不自由もしていない。
で、ある時期にテレビがカラーになったり、そういうものを経験してます。周りにいろんなものがあって、日本が豊かになりつつあった。そこが団塊の世代とは決定的に違うんです。
20年代生まれの従兄弟なんかはひもじい時代も経験してるんです。僕はまったく経験していない。人生を私のかわりに謳歌しなさい、みたいな親の気持ちがあったんですね。親が戦中派だから、戦争時代にすごく大変だった。うちの母は「私はオルガンが好きで弾いてたけど、息子にはピアノを習わせたいと思った」みたいな。だからすごく自由に育ててもらえました。
自由に育ったのは良かったのですが、はじめの仕事は極論を言えば、一生懸命やって、有名になって、イイ車買って、イタ飯食って、アシスタント雇って、さらにいっぱいいい写真撮って、いろんな所に自分の写真が載って、たくさんお金もらって、それで幸せみたいな。それ、今考えると、単純でバカですよね、はっきり言って。
- 佐々木
ジャーナリスティックなものに触れたときにね、たぶん伊藤さんの本来持ってた興味、本質が花開いた。月並みな言葉ですけどそう思います。
私自身も15歳でアルバイトを始め、27歳のときに『ニュースステーション』でリポーターのお仕事をいただいた。6年間で海外を駆け回って取材させていただいたんです。難民キャンプや、ゲリラの基地に行ったり。頭の悪い私も少しずつ、ジャーナリスティックなものの見方や問題意識が自分の中に芽生えて育ってきたような気がしたんです。
今、ITの時代にもなり、日本の市民全員がジャーナリストの視点で物事をみる力が必要になってきている、ということなんでしょうか。
- 伊藤
そう、セルフプロデュースなり、セルフマネジメントが必要だと思いますよね。あとは小さな政府。自分たちの多様な価値観をうまく吸収できるような政府っていうか、国づくりですよね。それで日本の文化も大切にして、人も大切にできるという。
これが理想なんだけれど、なかなかその理想を実現するのは難しいですよ。僕は、医療だけに興味があるわけではなくて、たまたま医療という非常に専門性が高いところに対して一時期ものすごく濃密な時間を過ごしたので、今は医療ジャーナリズムという中で文化作りみたいなことをやっていますけど、もともとはもっと広くいろんなことをやりたい。欲張りなんですね。
- 佐々木
社会に目を向け始めると、感じること、やりたいこと、いっぱいでてきますよね。
- 伊藤
だから、佐々木さんがそういうふうに世界中を回ったなんて、すっごーいうらやましいなあ。僕は女優さんやモデルを連れて世界中を回って、それはそれで楽しかったけれど、ジャーナリスティックな視点では回らなかったから、今は逆にそういうことをすごくしたい。
実は、最近、行きたいところがあるんですが、友人がカンボジアで伝統的な織物復興をやっていて、僕も現地の人と触れて、自分で感じる何かをメッセージとして伝えたいと思ったんです。もちろん、今まだ自分ひとりの企画ですけど。
18/23
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