ホーム > 佐々木かをり対談 win-win > 第60回 大沢 真知子さん

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大沢 真知子さん
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初恋の人に振られて人生が180度変わった
- 佐々木
ところで最後に先生自身についておうかがいしたいんです。どういう家庭に育ったんですか?
- 大沢
そうね、家庭は結構伝統的だったですね。だから、高校生まで早く結婚してお母さんになるというのを理想としていました。
- 佐々木
何がきっかけで変わったんですか?
- 大沢
すごい突っ込みですね(笑)。う〜ん、19歳くらいのときですね、考え方が変わったのは。やっぱり、専業主婦、結婚が女性の幸せっていうところが、なんか本当にそうなのか、って考えさせられることがあった。
- 佐々木
19歳のときに、何か考え方が変わるようなことがあったんですか?
- 大沢
……そう。……初恋のボーイフレンドと別れたというか振られたというか……。
- 佐々木
そうなんですか。私は、今の先生のためらいを見て、外国人のボーイフレンドの影響、なんておっしゃるのかと思ったのですが、逆なんですね。ということは、それは要するに、人生振られることもある。男性に頼らないで自分で生きていかなくちゃ、みたいな目覚めだったのかしら(笑)。
- 大沢
きっとそういうことだったんでしょうね。そのときにちょうどウーマン・リブの風が世界中で吹き荒れていたので、日本にも少しウーマン・リブの運動とかあったし、目覚めている人がいるんだ、というような影響をきっと受けたんでしょうね。やっぱり時代の影響が強かったと思いますね。
- 佐々木
大学は日本?
- 大沢
日本なんですよ。私、成蹊大学で、日本文学を勉強してたんです。もう、結婚するっていう準備を淡々としてたのにね。そこで挫折をして(笑)。次はじゃあ自分と社会の関係を見てみようといったときに、経済学の勉強を始めたんです。もう勉強しても全然わからないし、もうちょっと勉強しようかな、って思って経済学の手ほどきを受けるつもりでアメリカに行ったんですが、そうしたら、そのときのアメリカは大学院が専門家養成所に変わってたんですね。その中に入ってしまった。それはもう本当に偶然だったと思います。私は予定してなかったんですけれど。
- 佐々木
その後もずっとアメリカに。
- 大沢
そうですね。すごく追い風が吹いた。女性よ、研鑽を積んで、高い教育を受け自立せよ、っていう波に乗ったんですね、ずっとね。
- 佐々木
その中で経済と女性の関係が気になって、それが専門分野になっていった。
- 大沢
そうですね。自分の中で一番知りたいところだったし、研究が進んできた分野だったんですね。しかも日本についてはまだ研究が進んでいないっていうところに、ちょうど行き当たっちゃったんです。もう1つは、アメリカの労働経済学の父であり、女性労働研究のパイオニアと言われているエコノミストのジェイコブ・ミンサー先生に呼ばれて、80年にコロンビア大学に行くんです。
それが1つの転機だったと思います。研究者になるきっかけは、彼に出会って、彼が60年代にアメリカの女性に起きた変化を、経済学の枠組みのなかで分析する方法を教えてくれたんですね、私に。それを日本に当てはめてみてはどうか、ということで研究をはじめたんです。
- 佐々木
よかったですね。
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