ホーム > 佐々木かをり対談 win-win > 第82回 丹下 一さん

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丹下 一さん
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父への反発
- 丹下
いえ、家族と一緒だったんですけど、ほとんど「お前は一体!」って。父からは「早く芝居をやめなさい」っていう圧力。まあ、ある朝茶の間で会うと、息子が坊主刈りになってたりするわけですから(笑)。
- 佐々木
劇での役づくりで?
- 丹下
はい。ちなみに眉も剃ってましたから、親もびっくりしたでしょうね。で、21歳で劇団が解散したんですよ。いろんな事があってすごく大変だったんですけど。
父に「一応言っておくけど、劇団が解散したんだ」って言ったら「おっ、そうか!」。そう言ったときの、初めて見る晴れやかな父の笑顔(笑)。「いや、でもね、やっぱり演劇科での勉強を続けて、舞台の仕事を続けていきたいんだ」と言ったときの、その対極にあるような暗く落ち込んだ顔(笑)。
今では本当にとても喜んでくれているんですけれども、そういう時代が長かったですね。
- 佐々木
お父様はどういうお仕事をされているんですか?
- 丹下
お堅い国家公務員。
- 佐々木
国家公務員。
- 丹下
なんか、黒いお車が迎えに来ちゃったりなんかして。
- 佐々木
ポジションが高い方なんですね?
- 丹下
そうですね。今はもうリタイヤしているんですけど。赤い門の学校に行っている方達は、自分達が国を動かしていると思っていますからね、本当に。
- 佐々木
お母さんは専業主婦?
- 丹下
最後は、専業主婦でした。職場結婚だったんです。職場で知り合って、僕4人兄弟なんですけど、母は3人目を妊娠して辞めたんです。だから、僕、ずっと鍵っ子だったんですよ。保育園のころは母と父が交代で迎えに来ましたね。今から思うと、よくやったなと思います。
- 佐々木
その時代にしてみると、お父様が保育園のお迎えというのは、もしかするとずいぶん先進的なことでしたよね。
- 丹下
そうですね。お迎えは、いつも夜の一番遅い時間でしたけど、どちらか交代で来ましたね。今、自分が親になってみると、「4人の男の子が障子を破りまくってるなかで、よくぞやったな」と思います。
- 佐々木
そうすると、丹下さんは、お父様やお母様から学んだことやしつけの中で、俳優っていうものに目覚めていったっていうわけではない?
- 丹下
すごく反発してました。「9時〜5時でネクタイ締める仕事にだけは就きたくない」と本当に思っていたし。ただ、英才教育じゃないんですけど、本だけは山のように渡されて読まされて。
僕は、体が弱くてしょっちゅう寝ていたんですよ。父親は、いつも本を買ってきてくれて。文学全集みたいなものを。「小学校の図書館のここからここまでの全集を全部読んだ」みたいな、そんな感じだったんです。文学の影響もあって俳優に行ったのかなって思います。
7/25
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