ホーム > 佐々木かをり対談 win-win > 第90回 田丸 美寿々さん

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田丸 美寿々さん
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5歳から10歳までのサンフランシスコ
- 佐々木
お父様が記者でいらっしゃって、それで、お仕事のこともあってサンフランシスコに行かれていますよね。子どもの頃の外国生活が、やっぱり今の田丸さんに大きな影響を与えていますか? 英語での生活っていうか。
- 田丸
そうですね。それは。最初、私の知った集団社会って、広島の田舎です。5歳まで育ちましたけど、その時は近所のテッちゃんとかイクちゃんとか、一緒に飛び回っていたという友達がいるんですね。でも、幼稚園に入って小学校に行ってっていう、そういう集団生活をし始めたのはアメリカですから、やっぱりアメリカの中で5〜10歳まで育ったのは大きいですね。
いろんな人種の、いろんな言葉の子ども達がいるけれども、皆、何も差別意識も偏見もなく普通に、当たり前のようにしてた。皆、いろいろ意見が違うのも当たり前、手を挙げたら自分の意見を言うのも当たり前、みたいな中で育ってきたんですね。
で、日本に帰ってきて、「同じ日本人の中で、同じ髪の毛、肌の色の子ども達の中にいるのに、どうして私はこんなに浮いてしまっているんだろう?」とか、「何で私は異物のように扱われるんだろう?」っていう、すごく……。
- 佐々木
特に、帰国子女は、とても少ない時だったということも……。
- 田丸
そうなの。まだ「帰国子女」っていう言葉もなかったと思う(笑)。だから、「日本人って何て心が狭いんだろう」って。どこかでいつも、一歩離れて日本とか日本人とかっていうのを見る癖は、ちっちゃい時からついていたかもしれない。
「ここは日本のいい所だな」っていうのも逆に分かるし、だけど、日本の常識は世界の非常識みたいな所ね、「これ、日本人はいいと思っているけど、外から見たら違うよ」とか、「日本人はここを変えた方がいい」とか「日本も、ここはおかしい」とか、そういうのを昔からどこかで見る癖がついていて、それが今の仕事にもつながっているような気がする。
- 佐々木
外にいて帰ってきた時のものの見方が、今、客観視できるようになったきっかけなのかもしれないですね。
- 田丸
そうだと思います。それは、すごくよかった事だと思いますよね。ずっとコテコテの日本人でいると、見えない事っていっぱいあるし。小学校4年生で戻って、そのままずっと日本の公立を。大学も国立ですし。
- 佐々木
大学はどこに行かれたんでしたっけ?
- 田丸
東京外国語大学です。東京外国語大学って世界史と英語を一番重視するのね。一応、国立だから数学もあるんですが、私、数学がまるでダメで、5問あったけど1問もできてなかったような気がするんですけど、「数学は重視しない」って受験情報誌に書いてあったし、英語はずっと得意でしたから、「英語と世界史ができればいいかな」って。あ、上智大学も受けたんですよ。
- 佐々木
そうなんですか。
- 田丸
で、上智大学にも入学金も払っているし、一回行きましたよ。だけど、結局、後になって東京外国語大学の合格が分かったんで、上智大学の方はごめんなさいって言って、東京外国語大学の方に。月1,000円ですからね、授業料が。当時、国立大学は、年間1万2,000円でしょ。「これは、ちょっと親孝行して、後で借りを返してもらおう」みたいな感じで(笑)。だから東京外国語大学に行ったんですよ。
- 佐々木
そうだったんですか。
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