ホーム > 佐々木かをり対談 win-win > 第92回 戸谷 圭子さん

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株式会社マーケティング・エクセレンス マネージング・ディレクター
戸谷 圭子さん
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本部から見えた「変えなきゃいけないこと」
- 戸谷
私は幸い、変えなきゃいけないことが見えてくるような本部においていただいたということがあって、新しいことをやりたいと思っていたんですね。
- 佐々木
本部ではどんな仕事をしていたんですか?
- 戸谷
一番最初は、資本市場部というところです。企業の社債を出すところですね。そこは1年ぐらいしかいなくて、その後、総合企画部という、企画全体を見るようなところでした。1年目の新入社員にしては、とてもいい、勉強できるところに行かせていただいたんです。
でも、そこでいろんなことを変えていかなきゃいけない、戦略を作らなきゃいけない、企画しなきゃいけないんですけれど、しないんですよ。新しいことはしない。
まだその頃は、大蔵省から「これはやっていいよ」という許可が出た商品だけを、都銀の、しかも大手から、一番から順番にやっていって、都銀が一通り皆やったら、地銀の大手が同じことをして、信用金庫が同じことをしてっていうことだったんです。
- 佐々木
それは大蔵省の指導というか、慣習で、当時、順番まで決まっていたということなんですか?
- 戸谷
慣習。もう不文律で。だから、新しいことというのがまずやれないという、本当にそういう、面白くないというようなカルチャーだったんです。
もう1つは、やっぱり銀行で女性は「窓口の女の子」なんですよね、とらえ方として。で、行内結婚をして、5年以内の間に辞めて、入れ替わっていくものだっていうのがあったんです。
- 佐々木
戸谷さんは、何で、5年で辞めなかったんですか(笑)?
- 戸谷
本当にねえ(笑)。私、均等法ができて、総合職っていう制度が始まって2年目に入ったんですね。私の前が、初めての総合職の女性を採るという年で3人入って、私の年に9人入ったんです。私の後も毎年10人ずつぐらいという形なんですけれど、2〜3年のうちに、皆いなくなるんですよ、総合職であっても。
それは銀行が、法律ができたから仕方なしに採っていて、本当に女性を活用したいとか、大卒の女性で、男性と同じように働くような人がほしいと思って採っていたわけではないということです。だから、使い方も分からないし、使い方を考えてもいないし、というような。
- 佐々木
当時は、どこの業界というか企業もそうでしたよね。法律改正で仕方ないから、女性採用の形はとにかく作らなくちゃっていう。
- 戸谷
「怒られちゃうから」というので。ただ、私が総合企画部というところにいたとき、合併をしたんですよ。
私がいたのは埼玉銀行だったんですけれど、埼玉銀行と協和銀行が合併をした。その頃からかなり息が詰まっていたので、転職はずっと考えてはいたんですけれど、合併して、合併委員会というグループに入ったので、これは全然違う仕事だし、面白そうかなと思って、もうちょっといることにしたんです。合併が終わって落ち着いてっていう頃までいたという感じですね。
- 佐々木
それで8年間くらい。
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