ホーム > 佐々木かをり対談 win-win > 第92回 戸谷 圭子さん

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株式会社マーケティング・エクセレンス マネージング・ディレクター
戸谷 圭子さん
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中学、高校で、いい先生と出会いました
- 戸谷
いつからか分からないんですけど、中学生ぐらいの頃から、自分で生きていこうとは思っていましたね。「この家には頼らないで生きていこう」と思っていたんです。それはすごく。
- 佐々木
それは何ででしょう?
- 戸谷
中途半端な引き継ぐものがある家族って、いろんなことが起こるんですね。それはあまり美しいことではなくて。
私は普通に公立中学、公立高校に行っていたんですが、そんなにリッチな地域ではないんです、地域性として。中学の頃から、学校に来ない子がいたり、貧しくて、弟とか妹が3人も4人もいて、面倒をみなきゃいけないから学校に来られない、なんていう子もいるし、在日韓国人の方たちへの差別の問題とかもあったりして、そういう地域、いろんな人がいる中での公立中学でした。学校が荒れていました。
その中でたまたま、中学3年間、すごく影響を受けた先生がいたんです。学校を何とかしよう、それを生徒自身の手でさせようということにすごく力をつくしていた先生です。クラスの中で学校に来ない子を皆で迎えに行ったりだとか、家の事情で勉強ができない子に、放課後順番に勉強を教えてあげるとか、そういう活動を生徒が話し合って自発的にしている中学だったんです。
中学生とは言えども、信念を持ってやっていたんですけれども、そういう先生たちというのは、実は教育委員会から睨まれていたりとかするんですね。で、バラバラにするために無理矢理転勤させられたりとか。
- 佐々木
余計なことをする、という考えなんですよね、きっと。
- 戸谷
そうなんですよ。やっていることはいいことなのに、潰されていくっていうようなことを目の当たりに見ていて、やっぱり「世の中っておかしいことがいろいろあるな」って、「そういうことをなんとかしなきゃ」って思っていましたね。
- 佐々木
中学生の時にね。
- 戸谷
はい。中学の時にすごくそんな大志を抱いていたんですけれども、高校は進学校に行ったんですが、その大志が崩れるようなこともいろいろあって。実は、大病をして1年半ぐらい入院をしたんです。もう、完全に治ったのですが。高校を5年間、私、行ったんですよ。だから20歳で高校を卒業していて。だから、病院から戻ってきた時に、皆よりも年は上ですよね。
- 佐々木
そうですよね。2学年違っちゃっているっていうこと?
- 戸谷
ええ。で、その世代の2歳って結構大きいじゃないですか。クラスの中で、2歳上で浮いているし、普通の規則とかバカバカしくて全然守らない。でも、そこでも、やっぱり素晴らしい先生がいて、その先生は一票の格差の裁判を十何年闘っている人で、その人から信念を貫くことの大切さを学びました。そんなこんなで、何とか学校に……。
- 佐々木
通えて。大学は、どちらでしたっけ。
- 戸谷
京大です。
- 佐々木
ああ、経済でしたよね。そういう環境の中で、経済を選んだのはなぜですか? 今の話を聞いていると、心理学とか教育学とか、いろいろと違う道もありそうですけど。
- 戸谷
そうですね。やっぱり商売人の血があるんだろうなというのはあって。本当は、中学の時には弁護士になりたいと思って、法学部に行きたいと思っていたんですけど。
- 佐々木
それも似合いそう(笑)。
- 戸谷
そうですか(笑)? でも、弁護士っていうのもいろいろ裏もあるみたいなのも、見てしまったところがあって。政治は汚いことだらけですし。正々堂々とした道で、将来何か世の中の役に立つようなことができないかなというのがあって。
- 佐々木
強い正義感、が背景にあるんですね。顧客を弱者と呼ぶのは変かもしれないけど、もしかすると、金融業界の人たちが、相手にしなかったようなお客様の声をきちんと聞くことは、自分たちが下がっていくことではなくて、むしろ企業を強くしていくということですよね。イー・ウーマン流に言えば、"Win-Win"の関係だから、将来共によくなることだよ、というような概念ですが、そういった仕事の姿勢の基盤が、家庭内での出来事や、中学・高校のすばらしい先生方との出会いで、戸谷さんのすごく深いところに根付いていってたということですね。
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