ホーム > 佐々木かをり対談 win-win > 第96回 小林 いずみさん

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小林 いずみさん
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家の手伝いは、しなさい
- 佐々木
少し、生い立ちもお伺いしたいんですけど、どちらで生まれ育ったんですか?
- 小林
私は東京の郊外で生まれました。先ほどお話した商社の父、普通の母、そして兄が一人います。
- 佐々木
そうですか。小学校・中学校の頃、どんなふうな家庭でしたか?
- 小林
小学校・中学校時代は、しつけはすごく明確で、勉強は別にできなくてもいいんですけど、明るく伸び伸びで、「家の手伝いはしなさい」と。それだけ。まず、「勉強しろ」って言われたことが一回もないです。言われた記憶がないです。別にどうでもよかったんだと思うんですよね。
- 佐々木
でも、何か記憶にあるのでは。
- 小林
例えば記憶で残っているのは、子どもって親が一生懸命本を読ませようとするじゃないですか。でも私が言われたのは、「本を読まなくていいから」って。
- 佐々木
え、それ、うちの母にも言われました(笑)。
- 小林
「お前のその低い鼻に眼鏡なんかかけたらお嫁にいけなくなるから、目が悪くなるから本は読まなくていい」って言われたんです。
- 佐々木
(笑)理由はちゃんとあるんですね。で、本は読まなかったんですか?
- 小林
本は読まなかったです。時々は読みましたけど、別に、すごく読書家になるなんてことはなかったです。
- 佐々木
それはちょっと嬉しいです。私の場合は、母の母が、「男は新聞や本を読みはじめると、家のことを手伝わない」って。家の中では読書より動け、と。それが引き継がれて、私たちも子どもの頃、ものを読んでいると、「読んでないで手伝いなさい」って。ですから、本を読む癖が子どもの頃はなかったので、ちょっと引け目を感じて育ったんですけど(笑)。
- 小林
うちは、もう全然。兄は読んでいましたけれども、私には、「目が悪くて、眼鏡をかけて、嫁にいけなくなったら」って。その頃コンタクトはあったけれども、まだ一般的じゃなかったですから。
それから、私、小学校1年に入った時に、自分の名前が書けなかったんですよ。それを今聞くと、「うちの両親はそういう人たちだったんだな」と思うのは、「あなたは小学校1年の時に、自分の名前が書けなかったのよね」って。でもある日、私が名前を紙に書いてきたんですって。
で、「いずみちゃん、これ、どうしたの? よく書けたわね」って言ったら、「隣の子に書いてもらった」っていう話を、笑い話のように言う両親なんで、「これはもう、ほとんど何も期待していなかったんだろうな」と。その代わり、お米は3歳ぐらいから研がされましたよね。しかも、おだてられて。
- 佐々木
「うまい!」とかって?
- 小林
「うまい!」って。だから「子どもっていうのは、家でお米を研ぐものだ」ってずっと信じていたんですよ。友達も皆、家でお米を研いでいると思っていたんです。大学でクラブに入って合宿をしたら、一緒に入った女の子で、お米の研ぎ方を知らない子がいて、「え? 騙されてた」って(笑)。
ですから、小学校のころに母親がたまたまいない時は、食事も作っていましたよ。嫁入り修行だったのか、親が楽をしようとしたのか分からないけれども。私もたぶん、自分に今子どもがいたら、同じことをするだろうなと思って(笑)。
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