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「他者」はわたしの鏡
ewomanサーベイに寄せられた投稿では、「セックスもありの男友だち」、「セックスもする友だち」など、「セックス・フレンド」への解釈はさまざまだった。しかし、「セックス・フレンド」という言葉を、同じ言葉で表現した人が何人かいても、そこに込められている意味は、人によってそれぞれ違うと丹下さんは語る。
こういう話題を投げる時に恐いのは、体よくまとめてしまうことなんです。同じ言葉でも、そこに込められる意味って違いますから。
たとえば、40代の人の「そういう関係もいいものですよ、わたしにとっては必要なんです」という書き込みと、20代の人の「そういう友だちがいてもいいです」とは、ちょっと違う。それを一括りにして話してはいけないと思うんです。
コメントにも書きましたが、世界や他者って全部鏡で、自分に返ってきちゃうんですよ。そういう意味では、年輩の方は、いろんな恋をして、つらいこと、うれしいこと、悲しいこと、いっぱい思い出があって、いっぱい鏡を持っている。その上で、「それでもあえてわたしはこれを選ぶ」と。一方、若い人は「もっとこれから鏡を作っていきたい」という人たち。鏡から返ってくるものが違いますよね。
「セックス・フレンド」を持つことに、モラルは一切関係ないです。大切なのは、自分自身が「それでもいい」って本当に思えるのかどうかです。たとえば、ワンナイトスタンドで、「僕はその時間が必要だったんだよ」といくら言っても、パートナーから「浮気をしたから許さない」と言われて、離婚になるかもしれない。そのことで子どもたちをつらい目にあわせるかもしれないし、経済的にもとてもつらい思いをするかもしれない。そこも全部含めて「それでもいい」って思えるのかどうか。
いろいろな行為の結果って、大人になればなんとなく想像がついてくるかもしれない。でも若いころはわからない。わからないけれども「絶対引き受けてやる!」って覚悟で飛び込んでいくことがありますよね。そういう勇気を持ってる人は、僕はとても好きで、自分も非力なんだけど、そういうふうにありたいなと思います。
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