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とりあえずでも言葉にしてみること
とりわけ、日本人はセックスについて語ることをしたがらない。これは、どういうことだろうか?
たとえば「セックスは好きですか?」って大っぴらに質問されたら、「えーっ」とか言って、その質問に答えることを拒否する人がほとんどなんじゃないだろうか。ということは、「セックスとは何?」という質問に対しても、多くの人が自分の答えを持ってないんじゃない?
たとえば西欧人の場合、キリスト教のなかでは体はモノだから、セックスに対しても、非常にフィジカルにとらえてる部分がすごくある。だから、彼らは「あなたにとってセックスって何ですか?」と尋ねられたら、ティーンネージャーでも、「大好きー」とか言うと思うのね。でも日本人は、答えたくないんじゃなくて、答えられないような気がする。
「そんなの答えられなくてもいいじゃん」って開き直った時には、言葉が上滑りしていきますし、言葉が通用しなくなっていきます。僕自身は言葉を商売道具にする職業だから、作家の人とは違うけれども、自分なりには言葉を大切にしてるつもりなんです。「所有」という言葉ひとつとっても、「所有って何だろう?」と一生懸命考えると、漢字の用いられ方とか英語との対比とか、そんなことで違う意味が見えてくることがあります。
いまここで二人で使っている言葉と、僕が家に帰ってパートナーと話す言葉、それは違って当たり前じゃない? だけど、同じくらい言葉の重みは、二人の間で認識してる。「こういう言葉ってこうだよね、こういう範囲だよね」という共有ができてるはずなんだよね。
それがない状態で、いきなりバーンと風呂敷広げるだけの言葉遣いがされたら困っちゃうし、そしたら相手だって、バーンと広げて「そうですよね」とおざなりな応答しかできないもんね。お互い言いっぱなしで終わっちゃう。「へぇー君はそう思ってるんだ。それはそれで君の自由だから」ということで済ませてしまって、なにか裏で違うことが動いていくような、とてもいやらしい部分を感じます。
だから、とりあえずでも「わたしにとってセックスとはこうです」「わたしにとってパートナーはこうです」と、稚拙でもなんでもいいから、正面向いて答えなきゃいけない時代が来てるんじゃないかなと思うんです。そこで言うことができれば、対立があっても言い合いすることができます。
だから僕が問い掛けてることも、もう一度いろんなこと考えようよ、ってことだし、考えたい女性がいかに多いかということが、ewomanサーベイではわかりますよね。
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