
ギターを弾きながら歌い始めたのは、15歳の時。ブラジルで生まれて10歳の時、日本に帰って来たんですが、ブラジルがとっても懐かしくて言葉も忘れたくなかったし、ふるさとを思う気持ちがどんどん高まって……。もちろん、ブラジル音楽が大好きでした。両親が四ツ谷でブラジル料理とライブ演奏が楽しめる「サッシペレレ」というお店を経営しており、出演していたミュージシャンたちがよく自宅に来ていたことも歌い始めたきっかけの一つですね。
初めて人前で歌った場所は、その「サッシペレレ」。お店が「サンバを踊ろう!」というコンセプトだったので、自然とサンバを歌うようになりました。サンバって、打楽器の音が大きいので声もしっかりと出さなくちゃいけないんです。しかも1日5回位のステージで、夜中3時ぐらいまで。お客さまが踊ってる間はストップできないんですよ。サッシペレレ道場って言われているぐらい、このライブでみんな鍛えられるんですね(笑)。それが、16歳、17歳ぐらいのころ。
ある時、ホテルのラウンジからお仕事の依頼があって、そこでは「静かに歌っていただきたい」と言われたんです。静かな曲だったら「ボサノヴァしかない」と思って、もともとブラジルでたくさん聴いていたから、ボサノヴァだけをずっと歌ったんですね。それで、「自分の音楽はボサノヴァしかない!」ということを発見しました。何か、ピピピッときたんです(笑)。20歳、22歳だったかな。サンバとは対照的ですけど、自分が一番楽に歌えて、しかも楽しかった。「わたしはボサノヴァなんだ」って、すごく確信したんです。
それから、ボサノヴァでライブができるように自分のバンドを作り、ジャズのライブハウスで演奏するようになりました。そのころはまだスタンダードの曲をコピーして演奏していて、作詞作曲はしていませんでした。曲を作り始めたのは、87年ごろだったと思います。
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