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今週のテーマ
会議番号:2029
大学受験のための高校でいいですか?
投票結果
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1042票
この会議への投票・投稿は
募集を締め切りました。
【開催期間】
2006年11月06日より
2006年11月10日まで
円卓会議とは
このテーマの議長
一色真司 代々木高校 校長
みなさんからいただいたご意見でも、人格形成に必要な時期として幅広い学校生活環境を求められる声が多かっ……
議長コメントを全文読む
2日目までに届いている投稿から...
「だけ」ではダメですが…… (いまいくん・埼玉・43歳)
普通高校が大学受験「だけ」を目指しているのであれば、一色さんがおっしゃるように予備校に運営を任せれば良いでしょう。しかし実業系の高校と違って社会で必要となる実務を学ぶ場ではない普通高校は、ある程度進学を前提とした幅広い知識・教養、そして学力を付ける場と考えても良いのではないでしょうか? 東大合格者を多く輩出している進学校でも、受験勉強ばかりしているわけではありません。必修科目を履修しないのは論外ですが「大学受験のため」と言った側面があっても良いと思います。
当事者時代を考えると (いなとも・栃木・パートナー無・28歳)
高校生だった頃を考えると、自分自身の核をつくるというようなことまで考えは及ばないように思います。目の前の受験で精一杯。そこはどう頑張っても、やはり受験志向は変えられない気がします。逆に、大学側が学力だけではなく、人間性や一般常識といった内容も評価基準に加えていったら、どうなのかな? とも思っています。その上で専門分野の試験を行っていけばいいのではないかと。
大学は無試験にすれば (IPウーマン・37歳)
アジア諸国は「受験戦争」が大好き。科挙の流れでしょうか? 理想的には大学は無試験、自由選択、卒業は厳しいという制度にする方が良いのだと思います。そうすれば高校時代は自分の興味の発見、という位置づけになり、必修科目でも何でも真剣に取り組めるのにと思います。私自身は国立高校の出身なので必修飛ばしはあり得なかったですが、私立の友人からはそういう話もちらほら。でも損をしたとも得をしたとも思いません。そういうものだ、と思っていました。
教育理念を見失わないこと (**♪ひとみ♪**・東京・19歳)
一色さんの「『違った物差しの学校』が何種類も必要」というご意見には私も賛成です。「受験第一」の学校もあれば、それ以外に重点をおく学校もある。そしてそれでいながら、教育格差が起こらないような社会の状態が、私の理想です。本当にそれが子どものためだと思うのなら、「受験第一」と考える学校や親があっても構わないと思います。問題は社会のニーズに踊らされて、自分たちの教育理念を簡単に変えてしまう親や学校の存在ではないでしょうか?
サバイバルで生き残るのは (110rin・神奈川・パートナー有・34歳)
私が卒業した高校は、進学や就職よりも進路未定の卒業生が多い学校でした。正直、学業そっちのけの日々を過ごす生徒が多かった学校です。が、卒業して十数年。ふとしたきっかけで、当時札付きの不良と後ろ指指されていた男の子達と話す機会があったのですが、各々が事業を始めていて、見違えるほど精神的に逞しくなっていました。高校時代は、学業だけじゃなく、友人や諸先輩達とのネットワークを広げる場でもあるんだと思います。いつかはそれが大樹となるのを彼らが証明してくれました。
人格形成の場 (Hurry1・東京・パートナー有・57歳)
年齢的に見ても、人格の基本が形成される時期だと思います。私の場合は一往受験校でしたが、哲学をかじっていたり、原書を読んでいたり、何か他人と違った特長を持っていた友達がたくさんいました。その中にあって、学校の勉強のことしか知らない自分が恥かしくなりながらも少しずつ成長していった気がします。大学のための高校、就職のための大学、というように、各ステップが、次のステップに進むためだけのものになってしまっては、人生が空しくなるのではないでしょうか。
今の自分の根っこ (kanade・滋賀・パートナー無・25歳)
吹奏楽部に熱を上げすぎて、いつも成績は下から何十番の落ちこぼれ。それでもあの高校生活があったから今の自分があります。好きなことに打ち込んだ3年間。演奏会では運営費をまかなうために皆で商店街へ広告依頼へ奔走し、チケットを売り、演出を考え……。今思えば、よく顧問がここまでやらせてくれたなと思いますが、これこそが今の仕事に最も影響を与えた期間でした。高校は受験勉強という個人プレーではなく、クラスメイトや部活の仲間とのチームプレーを学ぶ場ではないでしょうか。
高校の教員をしています (murabito・宮崎・パートナー無・28歳)
進学を目指す普通科の他に農業科、商業科のある高校に勤務しています。どの学科の生徒も私には宝物のような存在です。高校を卒業したら終わりではなく、これから長い人生を豊かに生きていくための感性やたくましさ、優しさなど社会性を身につけてほしいと願って授業を行っています。受験のためだけの学校生活では寂しい。
3日目の円卓会議の議論は...
高校の役割とは何か
みなさんからいただいたご意見でも、人格形成に必要な時期として幅広い学校生活環境を求められる声が多かったですが実は、法律でも同じように定めています。
学校教育法41、42条に於いて高等学校の目的及び目標が記されていますが、目的として「心身の発達に応じて高等普通教育及び専門教育を施す」とあり、その目標として三つ掲げており大まかな内容は、「1.国や社会の形成者として必要な資質を養う。2.社会使命に基づき個性に応じた進路を決定させ一般教養、専門技能を習熟させる。3.社会理解を深め健全な批判力を高め個性の確立に努める」とあります。
これを読んでおかしいと思われる方の方が少ないと思いますが、しかしこれを運用する際には「学指導要領」としてかなり細かな時間縛りが入り大変窮屈なものになってしまう訳です。
上記条文を元に現場が理解し動くことが出来れば、もっと違った価値観が浸透していたのではないでしょうか。ところが限定、制約され且つ煩雑な中で運用、競争させた結果、形骸化した実績つまり大学進学実績のみに評価が集中し、本来身につけるべき学習効果や学ぶ力はどこかへ行ってしまったようです。
今回の未履修問題に対し文科省から依頼通知なる聞き慣れない物が出されていますが、すでに卒業している者への対応として認定取り消しの必要はないとした上で、その根拠に、「卒業認定は学校教育法等の規定に基づく各学校長の権限であること」としています。これをみなさんはどう考えられますか?
そもそも、国際化時代だから世界史が必修なのに、愛国心が議論されていながら日本史は必修じゃないんですよ。何が根拠か良く理解できません。
本来日本国が高校卒業程度を保証する資格として定められた履修教科のはずなのに、先に述べたように「国や社会の形成者として必要な資質を養う」もののはずなのに大学受験のための履修になってしまっては本質から大きく逸脱している事は言うまでもないことです。
では、何で大学受験は今のような形になったのでしょうか。
一色真司
代々木高校 校長
「一色真司 さんとのウィンウィン対談」
子どもたちが「自分の意思と足で歩けるように」との思いを胸に
「週5日制でゆとり教育は実現できる?」
子どもたちの教育のためにわたしたちができること
「子どもの受験は子どものため?」
限られた時間の中で、子どもになにが一番大切なのか
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