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今週のテーマ
会議番号:2983
いつも人間以外の生き物のことも考えている?
投票結果
52
48
218票
205票
この会議への投票・投稿は
募集を締め切りました。
【開催期間】
2010年05月17日より
2010年05月21日まで
円卓会議とは
このテーマの議長
柴内晶子 獣医師 赤坂動物病院副院長
皆さんが日々の生活の中で「いつも」思っておられることを色々とお話しくださってありがたく思います。 特……
議長コメントを全文読む
3日目までに届いている投稿から...
いただきますの意味 (jagao・神奈川県・パートナー有・40歳)
子どもが食事中に行儀が悪かったり、食べ物で遊んだりすることを厳しく叱ります。食べ物に失礼であること。食べ物はすべて今まで生きていたこと。その命をいただくこと。いただいたからには、しっかり生きること。子どもと向き合うことで、私自身も再確認しています。
いただきますという言葉 (みいのアトリエ・神奈川県・パートナー無・45歳)
いつも、食事のたびに、いただきますという言葉を口にします。命をいただいているからです。いつも考えているかという問いかけに、食事のたびに思っている、とお答えします。小学2年と5年の娘たちにも、小さいころから伝えています。残さないことも、もちろんです。食べきれる分だけ購入し、食べきれる分だけ作り、残さない、無駄にしない。命を大切にいただいて感謝しています。
自然な生態系を経験させるべき (marco302・パートナー無・38歳)
ベトナムに住んでいます。この地で、日本人が、動物園で非常に驚いた光景を見たという話を以前聞きました。子ども達がたくさん集まる日曜日、大蛇の折にウサギが一匹放たれたそうです。日本人の子どもはかわいい!と見ていたそうなのですが、そのウサギは大蛇の餌で、一気に飲み込まれていったそうです。ベトナム人の子どもは真剣に見入り、日本人の子どもは見る時間もなく親にひっぱられて行ったそうです。教育の違いだと思いますが、それが自然なのだということを教育することも必要な気がしました。
死んでしまったときに感じること (IPウーマン・東京都・パートナー有・41歳)
男の子がいるせいか、魚類、ザリガニ、昆虫など、常に生き物が家にいる状態です。飼育環境やえさなどは自分たちで調べさせ、私は最小限しか手を出しません。今朝は水槽で飼っていた鯉が1匹死んでしまいました。オタマジャクシがカエルになった瞬間に溺死してしまったこともあります。生き物が生きている時よりも死んでしまった時に色々感じるようです。我が家に来たせいで死んでしまったかもしれない生き物たちの冥福を祈りつつ、今後も種々の生き物とともに暮らすことになるでしょう。
毎朝うぐいすの声を聞きながら (佳華・広島県・パートナー無・48歳)
子どもの頃から虫に興味があったり、最近は毎朝バス停にたっているといろんな鳴き方の鶯の声を聞き、今更ながらに人間以外の動物の存在を肌に触れて感じることができ幸せを感じます。だから、できるだけ有害なものをまきちらさないでほしいし、無駄な開発はやめてほしいし、エネルギーも無駄に消費しないでほしいと思います。今ケニアでは、希少なクロサイの生殖地に旅行者向けのバンガローを建設しようとして問題になっています。遠く離れた地でどう反対運動すればいいのか悩んでします。
4日目の円卓会議の議論は...
「命」について考えるということ
皆さんが日々の生活の中で「いつも」思っておられることを色々とお話しくださってありがたく思います。
特に皆さんが複数挙げて下さった
「いただきます」という言葉
は本当に象徴的ですね。
食事の前に食事という行為が自分たちの命をつないでいて、自分たちはこの事に支えられていて、この行為なしには生きられない存在で、それは同じ命を取り込むことであるという、すべてを集約して「頂かせていただきます」「いただきます」という、改めて考えると、すごいパワーと祈りをもった言葉だと思います。
諸外国では同じような言葉はあまりないようですが
お祈りをしてから食事を始める
ことが多いですね。人間はその歴史の中で、常に自分たちの自然界での立場を確認する作業を、毎日の欠かせない食事の前に課していたのかも知れません。絶対に忘れないように、忘れたらおかしな方向へ行ってしまうとわかっていて。あんぱんちさんの御心配、その通りですね。
心を込めて「いただきます」を言っていれば、自然への感謝や、自分たちの立ち位置を忘れることはないはず
なんでしょうね。
子育てをしていくときに多くの親は必然的に自らの日常生活の中の様々な事を再度省みる必要が色々と出てきます。あたりまえのようにしてきた事でも人に(子どもに)教えるとなると本当にこれで良いのか? こういう解釈で良かったかな? どういう目的で教えるのだろうか? 等そう言うときに再度気づく事も多いですね。
日本と諸外国というように分けて考えて良いかどうかは別としても、marco302さんのお話しは象徴的ですね。蛇もウナギを食べて生きている。人間もウナギを食べますよね。それを生々しく見せることを嫌う傾向があることは事実かも知れません。
数十年前は日本でも自宅に食用と卵用に鶏などがいて
、その鶏たちはそれなりに家族的にかわいがられているのだけれど、家族のお祝いや、来客などの時にはごちそうとして供される、そういう現実にも、子どもも当然の仕事として参加していたはずです。今それを奨励しようとは思いませんが、
生死に関わる場面を極端に避ける事はない
と感じます。
わたしは犬や猫などの「伴侶動物」という、完全に食物連鎖から外れ人間の庇護のもとにいる、自然界では非常に珍しい存在の動物たちと仕事をしています。最近では生死にかかわる場面にお子さんを参加させるご家族が増えてこられており、このことは本当に貴重な場面を意味あるものにしていると思います。
また、今は
牛や豚などの産業動物にも生活の質を確保する方向性
が強く示されています。私たちの食用に生まれ、育てられる命であっても、いえ、だからこそ、その時期まで、心を込めてできるだけストレス少なく、良い生活の質を保つ努力がなされるようになってきました。ここは非常に重要なポイントだと思います。昨夜のニュースで口蹄疫で多くの牛や豚が処分されていることを扱っていました。その中で処分をされた地域の近隣の農家の方のコメントがあり、心にささっています。「こういう処分はつらい、やりきれない、あの子達は食べられて本望。あの子達はそれすらもできずに処分されるんですよ?」
人間は今経済活動なしには日々の生活が成り立たなくなっていますが、それ以前の
生物学的な存亡の危機に瀕している
ことも、心から自覚しなくてはいけない立場であることも、緊急の課題として考えなくてはいけないと私は思います。
そろそろ、今週も終わりに近づきますが、
日々なにかしら 「命」について考えるということは人間の生活や心構えをどう変えるでしょうか? また、皆さんご自身はこうあるべき、と思われることがございましたら、教えて下さい。
柴内晶子
獣医師 赤坂動物病院副院長
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