

(Rova・東京・未婚・27歳)
ささいなことだからと自分に言い聞かせてます。耐えられない辛さではないと。それにわたし自身がどこからがセクハラなのかってのが分かりません。嫌らしい目つきで見られるとか、目線が胸にあるってのは、どうなんでしょう?もっと分かりやすいセクハラならば戦うんですが。

(空色・仙台市・未婚・28歳)
わたしは同僚の男性からセクハラを受け、辛い目に遭った事があります。当初は、我慢し続けていたのですが、そのストレスから抑うつ状態に! 結果的には、直属の上司へ訴え、職場のトップへその事実を伝えるのに1年かかりました。
(ぽんぽこ・既婚・42歳)
セクハラに「騒ぐ」という動詞がつけられがちなのは、都合の悪いことを言わせたくない人たちによる女性の口封じ作戦のひとつ。それでは、別の表現を使ってみましょうか。セクハラを「指摘し、何が不快で何が問題なのかを、相手、職場、世の中に広く問う」。どうでしょうか。大人げないどころか、わたしたちの社会をよりよくする上でたいへん意義深いこと間違いなしです。
(しゅー・東京・未婚・27歳)
どんなにささいな行為であっても、自分が「嫌だ」と感じたことなら騒ぐべき。黙っていたら、男の意識が変わらない!

(うらら・未婚・26歳)
自分の行動をみてみると、Yになってしまう。「そのくらい自分でなんとかなる」とか、「まあこのくらいまでなら許そうか」とか、大人ぶった発想としか思えない。相手が仕事上の上司だと、セクハラさせていても仕事はやりにくいが、好きな仕事をしているので、セクハラ行為について触れることでこの場を失いたくないという気持ちがある。
(もも・未婚・28歳)
何を持って、セクハラと言うか。これが一番問題だと思います。上司でも、尊敬する人から軽く肩をぽん、とたたかれてもセクハラだなんて思わない。でも、尊敬に値しないような人からだったら、嫌悪感でいっぱいになって、セクハラだって騒ぐ。そのほうが、自分の正当制がみんなに認知されるから。わたしは、男性を好き、嫌いでセクハラだって言ったりいわなかったりしている人が少なからずいるって思っています。セクハラだと騒ぐのが大人気ないのではなくて、過敏になりすぎている人が多い気がします。
(Maja)
セクハラかどうかは、同意があったかどうかだから、はっきりイヤならイヤと言うべきでしょう。実際には周りの人間関係を考えて言えないこともあるでしょうけれど、自己責任の問題だと思います。
(みぽりん・アメリカ・既婚・28歳)
新卒の間もない頃、お客さんを交えてみんなで一緒に飲んでいていたらいきなりホテルに誘われました。笑ってごまかしつつ、その場にいた先輩や上司に報告。「うちはそういう会社じゃないので」とその場の雰囲気を壊さずに冗談まじえにやんわりとお断りをしてくれました。セクハラされたくない人とは2人きりにならない、もしされたら、そういう事実を社内の人間に知らせることで少なくとも自分だけで問題を抱え込むことにはならないと思います。

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