

論理の組み立てから違う(Maja)
電話で外国人の相談を受けるという仕事をしています。要点をわかりやすく説明するためには、日本語の論理や語順では相手がイライラしてしまいます。だから、「YES」をはっきりとフローチャートにしたがって確認していきます。忙しい時など、いつの間にか家族にもこの話し方をしてしまい、相手の都合やタイミングを外して失敗することもあります。とくに子どもやお年寄りに対して話す時には、「切り口上」とか「冷たい」という印象を与えることもあり要注意です。日本語モードの時は、とにかくゆっくり話を聞くように心がけています。
戦闘モード?(まつげ)
戦闘的モードというと言いすぎでしょうが、かなりはっきりとものを言うようになります。声もより低く、腹式呼吸で発声して(笑)。思っていることをストレートに言えるのは、母国語よりも英語のほうかも。言っても許される言語なんでしょう。
適応能力(ほしふるなび・26歳)
やはり、英語だと英語圏の人のような思考になり、ジェスチャーもそうなってしまいます。それはたぶん英語というものを身に付ける過程で、たんに単語や文法を覚えるのではなく、英語圏の国の本を読んだり、英語圏の国の人と話すことによって、新しい考え方を身に付けるからではないのでしょうか?言葉を身に付けるって、そうでもしないと無理なんじゃないかな?
「攻め」ている気がする(MARIKO)
英語を話していると、たしかになぜか自分の心のモードがより鋭敏になっているというか、日本語よりもなんとなく「攻め」の加減が多いような気はします。でも、それが本当の自分かと言われると、どうかという気がします。やはりどうしても日本語が母国語なので、まだ日本語のほうが本音を出しやすいと思います。わたしの英語が未熟だからという問題もありますが……。
アウトゴーイングになれる!(hulagurlk・アメリカ・未婚・29歳)
モードは変わります。英語を話してる時のほうが、もっとストレートになれるというか、アウトゴーイングになれてる自分に気づきます。気楽ですよね、それに。なんか、リラックスできてるっていうか。英語ぺらぺらなわけではないけど……。だから英語で話すほうが好きです。日本語のほうが言葉の面では楽だけど。
ジェスチャーもコミュニケーションの一部(ymitsu・埼玉・未婚・32歳)
英語特有のジェスチャーってありますよね。それが英語を話す時に自然に出てしまうのは、ジェスチャーが大切なコミュニケーションの一つの要素だからだと思っています。たとえば、英語だと相手の目をしっかり見て話すけれど、同じ内容で同じ状況でも、日本語だったらアイコンタクトはしません。アイコンタクトをすることで、相手が受け取るメッセージが違ってきますものね。英語での会話であれば、誠実さのメッセージでも、日本語での会話であれば、相手への威圧ともとられてしまうから。こうした言葉によって異なるジェスチャーがあるというのは、コミュニケーションが口から発する言葉だけではなく、全身で行ってるものなのだからだと思うのです。
よりポジティブな自分を感じる(reiks・神奈川・既婚・41歳)
大学時代に2年間、アメリカで過ごしました。が、英語で話していると日本人のボーイフレンドの機嫌を損ねることが多かったですね。日本語で話している時より生意気で感じ悪いと……。今から思えば、英語での会話能力が貧しかっただけかもしれませんが。たしかに英語では日本語の世界よりものごとがハッキリしていて、よりポジティブな自分を感じることがあります。前向きな自分を発見できる英語も、相手を思いやりながら話す日本語も大好きです。
英語の魅力(pee・アメリカ・未婚・20歳)
日本人の良いところは、文化伝統を大事にすることかもしれません。世界共通語といわれる英語を話す英語圏の人々はどうなんでしょうか?実際、今アメリカに留学してるんですが、この間日本に帰った時、ここまで丁寧に話をするんだと感心しました。逆を言えば気を使ってしまい、言いたことさえ言えませんでした。話してる最中は緊張して大変でした。英語では、ズバ! と言えるのに、日本では無理でした。これは、きっと社会心理学の分類に入るのではと思います。日本では他人を尊重して話しますが、アメリカではあくまでも対等に話すので敬語などは必要ないのです。ですから、ズバ! と言えるのかもしれません。
ボキャ貧なだけ?(ふたりで独り言)
英語を話す機会ってそんなにないんですけど、日本では普段ボソボソと話すほうみたいなのですが、一緒に旅行によく行く友だちが言うには、海外だと妙にテンションあがっているみたい。たぶんボキャブラリーが少ない分、喜怒哀楽をオブラートに隠せないだけなのかも知れないけど……。
英語のほうが自然体でのびのび(taz)
英語を話してる時のほうが本当の自分でいられるような気がします。日本語だと遠まわしな言い方があって、それをいちいち自分の中で解釈しなくてはいけないし、そこに誤解が生まれる可能性もあるからです。すべてをはっきりとしたい自分にとっては、言いたいこと全部を言える、英語を話している時のほうが、自然体でのびのびしてるように思います。

日本語って(luyluid)
わたしは英語を話せません。でも、ここでみなさんがのべられている英語で話す時の自然さや日本語で話す時の遠慮といったことは、英語を話さないわたしにも共感できます。いわば、日本語であり日本という国に身を置いた時の不自由さというのは何も第二外国語を得たから感じるものではなく、一般的なものではないでしょうか。

言葉遣いはパーソナリティー(Vogue)
長年ヨーロッパに住んでおります関係上、いろいろな言葉を話すのが当たり前の毎日です。どの言葉を話す時でもやはり自分らしさを常に保つべきとわたしは考えます! 相手はそれにより反応をするわけですから本来の自分でない自分を外国語でつくってみても、いずれは相手にもわかってしまうでしょう……。

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