

敗者復活のチャンスを用意してほしい(hiro2)
YESでもありNOでもありますが、坂野さんのおっしゃるように、評価の仕組みがしっかりしていればYESです。では会社に何を求めるか、という問いの答えも、まず透明度の高い評価ですね。さらに、敗者復活のチャンスも会社は用意してほしいと思います。成果主義に移行して以来、1度の失敗のために優秀な方がずいぶん転職しました。また、転職できない場合は、次のチャンスを待つことになるのですが、それはめったにやってきません。スキルアップをしても活かされないことも多いのではないでしょうか? 同様に社会のセーフティーネットも今はあるとは言えません。
経験を活かす能力を持つことが必要(miyaco・兵庫・既婚・29歳)
最近聴いた講演から。「昔は長生きできただけで尊敬の対象だった。今は誰でも長生きできる。年を取ることそのものの価値は下がっている。きちんと経験を重ね、それを活かす能力を持たなければならない」。理屈でいえば定期昇給はなくて当然だと思います。だけど子どもの教育費や親の介護やらで、一番お金がかかるのは40代後半〜50代。この年代の収入が激減すると、日本の社会システムそのものが危ういかも。誰もがその年齢ならではの能力を持っていれば問題ないのでしょうが、バブル時代に若いころを過ごした人たちに、それを要求するのは酷なのでしょうか。
年齢で給料が決まるのは理解できない(はるたいママ)
わたしは大学を出てからずっと外資系の会社に勤めているので、あまり日本の会社のことはわからないのですが、うちの会社では、時間給で雇われる職種(非営業、管理部門、事務など)と、成果を問われる職種(一般的にいう営業職など)とで給与体系が違います。会社が人事異動をする、ということもないので、それぞれがその道のプロフェッショナルを目指し、営業職には、定期昇給も、残業代もありません。同じ成果を短時間で出そうが、効率よく出そうが、時間で給料をもらっている、という概念がないのです。なので、定期昇給はなくて当然だと思っています。というのは、年齢で給料が決まるというのが理解できないからです。
年俸制の会社を渡り歩いてきたけれど(まゆみtm・東京・未婚・34歳)
Yesの意味が違うかもしれません。社会に出てから今までずっと年俸制の会社ばかりを渡り歩いてきたため、定期昇給自体がありませんでした。前年度のパフォーマンスと企業の業績によって昇給率が決められ、減額された経験もあります。買収によって待遇が激変したこともありました。従って、より高い報酬や仕事のやりがいを求める場合には、転職を考えるというパターンが身に付いてしまい、自分にとっては当たり前の働き方は、世の中では少数派だったのかと今ごろ認識しているところです。でも、正直言ってこの働き方は「きつい」と思いますよ。
人事コスト削減のための言い訳に思える(timtum)
「定期昇給」とは「成果主義・能力主義」の反対語、という意味と理解した上で、YESです。しかし、「成果・能力主義」は、経験上もそうですし、マスコミにも散々書かれていますが、正しい評価が行われていないため機能していないのが実態です。アメリカの調査ですら、上司は成果ではなく好き嫌いで部下を評価する、という結果が出ており、ましてや日本では……です。結局「成果・能力主義」とは、人事コスト削減のための会社にとっての都合のいい言い訳ですし、「定期昇給の廃止」も同じです。ただ、仕事をしてないあの人が昇給、昇格している! と怒ることがなくなるだけでも、「定期昇給の廃止」には意味があるのかも、と思う今日このごろです。
わが社のオープンな査定の仕方(UML・北海道・既婚・40歳)
前年より成果が上がっていればアップ、成果がなければ現状維持、成果が落ちていればダウンでいいと思います。自分では成果が出たと思っていても回りの人々が出ていないと思っている場合は、残念ながら成果は出ていないということだと思います。ただ組織が大きくなると評価するのが大変ですよね。だからいろいろと査定するためのマニュアルや基準が必要になってくるのだと思います。要は査定という仕事を楽(手抜き)にするために。しかし、この基準が実は相当厄介な問題を起こしてしまうのではないでしょうか?
わたしの会社は責任と権限を持っているリーダー1名に5名以下のメンバー、という組織を作り、年度末に計画通り事業を達成できたかを、全員で全員をオープンな場で査定しています。マニュアルを使用するよりはるかに的確な査定になっているとみんなが実感しています。実は人を査定するということは、組織造りにとってすごく大切なことなのに、案外軽く受け止めている経営者の方が多いなと感じることがあります。利益の源泉なのに……。とにかく評価をできるだけ正しく公平に決めて細かくできれば、定期昇給の有無という問題自体なくなるような気がします。査定している時、ふと裁判官にでもなっているような気持ちになることがあります。ストレスも感じますし、難しい問題です。

一人で頑張っても営業所の成績にはならない(fyumi・神奈川・独身・36歳)
確かに能力のない人に高額なお給料を支払うのは、惜しいことだと思います。全員に昇給があるのではなく、その人ごとの評価で昇給があったりなかったりすればいいのではないかと思います。わたしはもう一人の営業マンとたった二人の営業所で勤務しています。彼はとてもぐうたらで、午前中は直行と言いながら家にいて、午後から出勤してきます。繁忙期、どんなにわたしが忙しくして頑張っても営業所の成績は悪く、成績に応じた賞与・昇給しか出してくれない会社に不満を持っています。本社の上司たちは、「一人でよく頑張っている」と褒めてはくれますが、昇給も昇格もなしの褒め言葉なんて、わたしにとっては何の意味もありません。定期昇給はなくても当然、とはとても思えません。
制度ばかりが先走って実体性が整っていない(みさきママ・静岡・37歳)
数年前まで某フィルムメーカーに勤務していました。定期昇給は年々下がる一方だったところに、突如成果給に変更するというお達しがあり、人事が一生懸命に制度の説明をしに来ていました。わたしは総合職ではない、いわゆる一般職にあたるのですが、事務職ではなく化学分析などの技術職で、覚えなければならない技術は山ほどあり、常に勉強しながら仕事をしていました。が、そういう技術をどうやって成果として認めてくれるか、などの説明は一切されませんでした。結局それ以降、昇給はどんどん少なくなり、その理由として、成果が出ていないという説明をされました。成果給の制度が、給料を上げることができない言い訳に使われている気がしてならなかったです。制度ばかりが先走って、その実体制が整っていないという、なんとも日本の政治のような印象を受けました。制度は制度として、会社をよりよくするために必要ならば導入するべきだと思うのですが……。この制度後、賞与が減額しました。残業しても勉強しても、しょせんノンキャリアには関係なしかと思い、やる気がなくなりました。
仕事の内容によっても違ってくる(あるばーと・神奈川・既婚・36歳)
ベースとしては定期昇給は必要だと思います。企業(社会)から得られた賃金は、いわゆる社会の再生産の要素があると考えるからです。一般的に、子どもを持つ労働者は養育の義務があり、そのために多大な資金を投じるわけです。成果主義による評価・処遇というスタンスに反対はしませんが、年を取ればそれなりに仕事の内容も変化させざるを得ず、たとえば若年層に有利な土俵で比較するのはどうかと思います。人的資源の管理はさまざまな側面から実施すべきですが、その企業の事業内容、さらに細分化された仕事内容によって変化するものですから、処遇する側にとってはとても難しい永遠の課題だと思います。
どこに評価の基準を置くのか(ccarmen・福井・既婚・37歳)
企業は必ずしも、営業部門のように売上が数字として出る職場ばかりでなく、評価がしにくい職場もたくさんあります。何で評価するのかといったら、上司のウケとか、ごまをすることとかが評価の対象になることもあるので、企業の体質もおかしくなるのでは、と思います。あくまで企業に入った以上は努力もするべきで、自分自身を向上させてさまざまな資格を取得したり、またそういう評価もあっていいと思います。定期昇給なんてほんの数千円のことであり、それがなくなり、評価だけになると社員のやる気もなくなってしまうと思います。
目に見えない成果を評価することも大切(ブルー・未婚・30歳)
わたしは会社勤めをしたことはありますが、1年で辞めてしまい、その後、資格を取り、今は個人事業主として仕事をしています。そのため、完全な能力給になっているわけですが(仕事をしなければ飢えるだけ)、ただ、会社内での能力給という言葉を聞く度に、誰がどういうふうに評価をするのだろうか、適正に評価できるのだろうか、と疑問に思います。成果としては目に見えなくても、その人の経験や知識として蓄えられるものも多数あると思います。そういったところを定期昇給という形で一定の評価をすることは必要なのではないでしょうか。

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