

育てて使って、初めて才能といえるのでは?(アズミぷー・福岡・既婚・43歳)
よく、音楽家や画家が「あの人は、才能があるから」と言われますよね。言われるようになるまでの本人の努力は、後回しのようになってますよ。でも、その才能を見つけた人こそ才能があると思います。親であったり、学校の先生であったり。その才能を見つけて、育てて、使ってみて初めてわかるものだと思います。才能は誰もが持っている能力です。ただ育てられることなく埋もれているのです。社会に出て環境が変わり、今までにないところで自分の能力が発揮できてる人は、多いはずです。ただ、才能は、自分ひとりで伸ばせるものではないと思います。周りの人と切磋琢磨して、初めて見えてくるものです。
才能の芽(tamaneko)
有名な音楽家が「才能とは、それを続けていく情熱」みたいなことを言っていたのを、新聞で読んだことがあります。また、かのアインシュタインは「わたしは天才ではありません。ただ、人より長く一つのことにつき合ってきただけです」と言っています。やはり、才能の芽って、好きなことの中に潜んでいるんです。好きでやることなら疲れないし、面白いし、持続するから。過去を振り返ってみても、わたし自身、評価されるのは自分が好きでやったこと。そして、多かれ少なかれ、人は自然に自分が持っている才能の方向に進んでいくと思う。
ちょっと背伸びするときに必要(奥沢すずめ)
いつも何か新しい事に挑戦したいと、思っています。それも自分に才能があると信じられればこそ、チャレンジできるのです。いつも自分の現在の技術の範囲の仕事だけをやっていたら、腕は上がりません。できないかもしれないことをちょっと背伸びしてやってみれば、それができた時、背伸びした分だけ腕は上がっています。そして、何よりも必要なのは、自分にはできる才能があると信じることです。
厳しい現実もあるけど(サオリパイン)
「才能」って、あると信じてがんばっていくことなのかな。でも、わたしの実感からいくと、「疑いながらも続けること」って感じですね。そうして続けているうちに、実績ができてきて、同時に少しずつ自信もついてくる。キャリアによって、テクニックもアップしてくる(また、そういう仕事をしなきゃいけない)。でも、才能はセンスでもありますよね。センスは磨くこともできるけど、生まれ持ったものであることもたしかだと感じます。最終的には、才能って、テクニックでカバーしきれないところに存在するんじゃないか……なんて思ったりもします。(厳しい現実もありますから
人とは比べられない(ami1224)
才能というのは、みんな持っているものだと思う。「これがわたしの才能! 」って、自覚していないことが多いのでは?一括りにはできないし、人それぞれ多種多様。だから面白い! これは、人と比べるもんじゃあないですよね。わたしは、これっ! と思ったものに、ガーと行くタイプだけど、知人はいつも、笑いながらスローで行くタイプ。仕事のある部分では長けていると自負しているけど、彼女の笑顔にはかなわない。いつも笑顔の彼女を見て、なんだかこちらも笑顔になる。これは彼女の才能だと思っている。
年相応に身につくこと(Maja)
子どもの頃から、周囲にキラ星のような才能のある人に囲まれていたので、自分には特別なスキルはないと思い続けていました。最近わたしは、好きなことを続けること、人の話を聞くこと、相手の立場を理解すること、打たれ強いこと、あきらめないこと、これらには自信があります。言い換えれば、年相応に図々しくなったということかもしれませんが。
誇りを持てたとき(フレーバーママ・既婚・40代)
自分を見つめなおした時に、こんな才能があった、というのも良い言葉ではあると思います。ただ、才能という言葉は、この出会ったものをさらに磨き上げて、誇りを持てたときに使うことのできる言葉のようにも思います。

強気も一つの才能?(shiho・埼玉・未婚・31歳)
20代後半の頃、仕事に対し妙に自信満々でした。なんとなく自分は、いろいろな仕事をこなす無限の才能があるのでは……と。しかし30を迎え、部下が一人、二人と増えるたびに日々不安になる一方です。自分はもしかして、取るに足らないスキルしかないのではないか、才能も実力も人並み以下ではないか……そう考えると、強気に物事を考え、自分に自信を持っていろいろなことを遂行できることも、一つの才能なのではと思う今日この頃です。

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