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2000/12/11(月) - 2000/12/15(金)
3日め

テーマ子どもに罰は必要ですか?

今日のポイント

大人だから言葉で教え、子どもだから叩いて教える?

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凡例
キャスター
山本真実
山本真実 淑徳大学社会学部専任講師

投稿いただき、ありがとうございます。子どもがいない方も書いてくださっていて、「みんなで子どもの問題を考えたい」わたしはとても嬉しく思っています。

罰=体罰ではないので、体罰以外の罰は必要であると考え……

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これまでに届いているメンバーからの投稿

YES

(ふみや・熊本県・既婚・29歳)

悪いことは叩いてでも教えるべきだと思います。叩くのにも限度はありますが。学校の頃は、よく先生に怒られて叩かれました。それでも、暴力だと思ってはいないし、「ああ、また忘れ物したから叩かれる」と思うくらいでした。親からもよく叩かれたけど、それで悪かったと思えればいいのではないのでしょうか。子どもにも後で納得のいく怒り方だったらいいと思います。

(まどりん・既婚・33歳)

子どもだけでなく、夫や友人そして自分にも必要だと思っています。そして一緒に与えなければいけないのは、その誰にも愛と云う気持ち! ツライだけの罰でなくそこから考えたり学んだり出来るような罰はあるべきと考えます。

(Rova・東京・未婚・27歳)

わたし自身がものさしで叩かれて育ったのですが、今、結果として良かったと思っています。子どもの頃は、まだ人間になりきっていない動物です。言葉もなかなか通用しません。言葉は必要ないというつもりは毛頭ありませんが、言葉罰を一体化して必要だと思います。

(geko・渋谷区・既婚・36歳)

本当に悪いことをしたとき、3回目位までの手段としての「罰」なら賛成。「体罰」というのは、親の手も痛いものです! 4度5度となると、これはただ「罰」を与えるだけでは、問題の解決にはならないかもしれませんね。「『罰を与える』ことが親の権力の乱用ではないか」という問いには、確かにその通りかと。でも子どもは、それがいいことなのか、悪いことなのかわからないから、親(権力者)が教えてあげるのでは?親=権力者、いいではないですか。だってお父さんは必死に稼いでいるんですから! 

NO

(まーどんな・46歳)

子どもが小さかった頃、いけない事をしたといってお尻を叩いたり、危険ないたずらをして手を叩いたこともありましたが、子どもが大きくなって考え直してみると、自分自身がヒステリックになっていた部分が少なからずあったと思います。親が手を出さなくても済んだことの方が多かったのでは…と反省しています。子どもを叱る時には、体罰でない罰を考えるべきでしょう。体罰は、叱られた内容ではなく、痛みだけが子どもに残るのではないでしょうか。

(TERU)

罰イコール体罰と解釈しました。体罰は親のエゴでしかないと思います。

(kaho・35歳)

叩いたからもう悪いことしないのだろうか?叩くことを全面否定するわけではありませんが、子どもと正面から向き合う、親の気持ちの中の余裕が欲しい。3歳までは、叩いて育てた。でもそれからは、ちゃんと向き合って話をする。他人に暴力ふるった時は同じ痛みをと、叩く! でも最後には抱きしめる。めりはりをつけることによって子どもはついてきてくれる。と信じている。

(Maja)

わたしはこの年になるまで、叩かれたことも叩いたこともありません。スーパーでだだをこねる子どもを叩いて、ますます泣かせているお母さんをよく見かけます。わたし自身が叩かれているようで辛いですね。ヨチヨチ歩きのこどもでも、目をみてはっきりと叱ればわかりますよ。

(natsumi・新宿区・未婚・25歳)

「愛のある体罰」ってなんでしょう?愛があると感じるかどうかは、親の主観ではないでしょうか?「自分も昔そうだったから」「今思えば自分は平気だったから」という考え方はやめた方がいいんじゃないかな。子どもはその子どもなりの個性、感性を持っているものであって、親のコピーじゃないと思うし、あくまで一人の人間として扱うことが大事ではないでしょうか?親だから、大人だから、力が強いから、相手が自分の言うことをきかなかったり、思うとおりにならないときに力で押さえつけてしまう。そういう経験をすると、努力すること、話し合うことをせずに暴力で解決…ということになってしまいかねない気がします。体罰は心に傷を残します。

OTHERS

(MANAMI・東京都・既婚・36歳)

2歳半の子どもがいます。結構、怒鳴ったりしています。でも、考えてみると、子どもを怒る時って、自分に余裕のない時が多いです。まだ、十分に言葉を理解しない小さな子でも、しっかり目を見て真剣に言って聞かせると結構通じたりしますよね。それができずに罰を与えてしまうのは、自分の精神状態や指導力の問題だったりすることも多いような気がして、時々反省しています。

(masa・神奈川県・既婚・32歳)

体罰は必要ないと思いますが、悪いことをしたら当然、何らかの罰は必要です。何度約束しても守らなかった場合には、押し入れに30分程度入れるとか、おやつを1回抜く程度の罰(というかペナルティ)はしつけの範囲内だと思います。

昨日までのみなさんの投稿を読んで

投稿いただき、ありがとうございます。子どもがいない方も書いてくださっていて、「みんなで子どもの問題を考えたい」わたしはとても嬉しく思っています。

罰=体罰ではないので、体罰以外の罰は必要であると考えている方が多いようです。子育てをされた方は自分の子育てを振り返り「考えてみると、自分自身に余裕がなかった時に叩いていた気がする」と書いています。子どもを育てることが時間的にも、精神的にも、肉体的にも余裕を持って行える環境の整備がとても大事なことだと改めて気づかされます。

一人の人間と真剣勝負で向き合うには、自分自身の豊かさが試されます。余裕のない中ではつい手を挙げがちです。また、子どもにけじめを理解させるとき何かインパクトのある行為をしなければと思いがちですが、言葉を尽くして、目を見て話すことで子どもは理解できるのだという意見もありました。

わたしの友人に児童養護施設に勤める指導員がいます。そこにIQ45の幼児が入所してきました。IQ45というのは知的障害児です。叩いてしつける派の施設長に対して、彼女は「言葉で尽くす」という養護をして頑張ってきました。今では発語も多く、してはいけないことも理解できるようになったそうです。

動物と同じ子どもではなく、「子どもは尊敬すべき対等な存在と考え、一見幼く弱く見える子どもとどう向き合うかが問題なのでは」という彼女の言葉に考えさせられます。大人だから言葉で教え、子どもだから叩いて教える、というのは「あり」なのでしょうか?

山本真実

山本真実

淑徳大学社会学部専任講師

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