

産めたら勝ちなの?(scully・既婚・33歳)
子どもが産めない体だったら?と考えると、そう簡単に「養子縁組で」などと言えません。産める女性が産まない選択をするのは自由です。けれど、産めない女性の苦悩は、真剣にその立場になって考えてみないと理解できないと思います。計画性なく子どもが産めて、育てるのも簡単に放棄できる人、虐待で子どもを死なす人のほうをもっと問題視する必要があるのでは?産んだら、何をしても良くて、産めなければ、あれこれと言われるのは間違いではないでしょうか?
臓器移植と同じだと思う(ちはる・未婚・26歳)
人の手で命を創りだす、というよりも「産めない人の為の治療」と思えます。受精卵自体を創っているのではないですし、正常である子宮に代わってもらうと考えれば「臓器移植」と同じように思います。リスクばかりが取り沙汰されていますが、それ以上に幸せな家族が生まれているのも事実。リスクの為に、幸せになれるはずの人に諦めろというのはおかしいです。「単なる親のエゴでそこまでするなんて、自然の摂理に従うべきだ」と人を非難する、それもまた「エゴ」だと思います。

本当の親子になるために必要なこと(そうたん・既婚・29歳)
技術を駆使して、無理やり子どもの命を創り出す必要があるのでしょうか?どうしても自分の卵子を(夫の精子を)ヒトにしたいと考えるよりも、悲しい環境で苦しんでいる子ども達を、一人でも救うほうが、健全でヒト(動物)らしい生き方だと思います。どんな子どもでも覚悟を決めて子育てすれば、必ず本当の親子になれるはずです。
成熟した共生社会へ(KURO・大阪府・既婚・38歳)
代理出産には反対です。アメリカでは、代理母が親権を求めるケースが現実にいくつもあります。日本でも、今までの代理出産で、代理母と依頼主との間に精神的なトラブルが多いと聞きます。代理母を使ってまで、血のつながりを重視する社会から、精神のつながりを中心とする、成熟した共生社会に変わって行けるよう、心から願います。
「血のつながり」OR「家族」どちらが欲しいの?(hamaiso・28歳)
日本の場合、「血のつながった子=血統主義」に偏るのも問題。「血のつながり」が欲しいのか、「家族」が欲しいのか原点に立ち返った方がよい。身内に代理母を頼むといっても、身内にも人生というものがあり、一生、秘密を抱えて悩みながら生きていくことになったとき、責任が取れるのだろうか。現行制度だと、生まれた子は一度実の親(代理母)の戸籍に入ってから、養子縁組の形で依頼側の戸籍に入ることになるのも忘れないでほしい。
「代理母」という選択肢(たららん・横浜市・既婚・30歳)
これを設けてしまったことで、不妊の方がご自分の人生を「そのまま肯定する」ことができにくくなると思うからです。子どもがいない人生は「まったくダメ」なのですか?違いますよね?子どもがいない人生を肯定し、前向きに生きることも生き方の一つのはず。代理母制度は,「子どもができない」という悩みを「代理母が見つからない」という悩みに変えるだけなのではないかと思います。
不妊が原因で離婚しました(ジャイ子・34歳)
わたしは結婚しても子どもができず、周囲や夫の子どもがいないと夫婦はうまくいかないという考え方や身内から養子をもらうという考えに納得いかず離婚しました。わたしが不妊治療中よく聞いた他の人の意見ですが、子どもさえいれば何もかもうまくいくという考えでノイローゼのようになっている人がいて…そんな方は一度子どもと自分たちの将来についてゆっくり考えてから代理母の選択をされたほうが良いと思います。
欲しいからといって与えていいの?(寛ちゃんの女房・広島・既婚・36歳)
反対です。よく「子どものいる人は出来ない人の気持ちが分かるはずがない」と言います。もちろん分かりません。でも、欲しいからといって与えていいのでしょうか?そうは思いません。子どものいない夫婦を不完全のようにいう人達もいかがなものかと思うけど、何よりもそこに置かれた運命を一番幸せな方向に導いていく夫婦でいることが完全な夫婦と言えると思います。

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