

両方経験しましたが(巽・大阪・未婚・41歳)
いじめたことも、いじめられたこともあります。どっちの自分も卑屈でした。結論から言えば、いじめる方が悪い! と思います。たしかに、いくつになっても、どんな立場になっても、イライラさせられる人はいます。しかしだからといって、その人をいじめていいという理屈にはなりません。同じ不愉快な存在だとしても、気が強く、攻撃的な人にはいじめを仕掛けようとはしないはず。その場合にはへいこらするでしょう。相手がくみし易しと思うといじめる。そんな自分を恥ずかしいと感じるのが本当だと思います。「自分はいじめられっ子だった」という告白は聞きますが、「自分はいじめをやっていた」という話はあまり聞きませんね。それだけ、恥ずかしいことなんじゃないですか。「相手にも非がある」と正当化するのはさらに悪いと思います。
いじめる側の勝手でいじめてるんだから(mappy・愛知・既婚・36歳)
わたしが行っていた学校にもいじめとか、いじめられないまでも、必ずやたら嫌われてる子っていました……。やはりその子たちに共通する点は「少し周りの人と違う」ってところかな……。わかめちゃんカット(刈り上げ頭)だったり、靴下が規定は白なのに、ちょっと灰色がかってたり、やたら髪の毛がボサボサで制服もシワだらけで不潔っぽかったり……。それから、髪の毛ボサボサの制服しわくちゃの子が隣のクラスだったんだけれど、派手にやられてました……。朝、廊下にその子の机の椅子だけ出されていたのを見たことあります。いじめをやっていたのはそのクラスの男子生徒。たしかに嫌われる要素を持ってたけれど、「嫌いなら嫌いでもいいから、放っておけばいいのに」っていつも思ってました。いじめる側が勝手にいじめてるわけだから、いじめられる側に責任なんかないと思いますよ。
いじめなければ、いじめられる(いまいくん・埼玉・既婚・39歳)
たしかに「いじめられやすい子」はいると思います。体が小さいとか、気が弱いとか。でも、だからと言って、いじめていいわけではないでしょ。今のいじめで問題なのは、「中間層の不在」だと思います。ボクが子どもの頃は、少数の「いじめっ子」と少数の「いじめられっ子」がいて、大半は、どちらにも属さない中間層でした。で、いじめがあんまりエスカレートしてくと中間層の中で正義感の強いヤツが、「もう止めろ」とストップをかけ、他の中間層が「そうだ、そうだ」と言って、ひどくなる前に、いじめが止まりました。しかし今は、その中間層のほとんどが、いじめる側に回ってしまい「大多数のいじめっ子と少数のいじめられっ子」となって、いじめがどんどんエスカレートしていき、止める者がいない。「いじめなければ、いじめられる」。いつからこんな風になったんだろう?
そんな理屈は通らない(のりぞー・千葉・既婚・29歳)
わたしは「いじめられる側にも責任がある」なんて理屈は通らないと思います。そういう理屈を平気で言う人は案外多いけれど、そんな人は大キライ。非常に身勝手で、自分をたいした人間だと勘違いしている。人にはそれぞれの生き方・考え方、また個性があって当然で、それは他人から侵されてはならないはずです。いじめの理由を聞くと「のろまだから」「弱そうだから」なんて平気で返ってきますが、だからなんだと言ってやりたい。のんびりした人がいてもいいし、弱そうだからといって何をつけこまれる筋合いがありましょう。わたしが子どもの頃、近所のお母さんがこう言っていました。「子どもって結構意地悪だから……。だから(やられっ放しになっちゃかわいそうだし)いじめることも知らないとダメなのよねえ」わかります。実際、そうかも知れません。でも大人として、自己防衛策としてのいじめや「やったら、やり返す」を教えるのではなく、自分を大切にするように、他人も尊重して生きていくことを教えたいとわたしは思います。いじめをする子ども(大人でも)は、まず自分というものをわきまえていないし、大切にもしていない。だから平気で他人を侵すようなことをするのです。「いじめられる側にも責任がある」なんてこと、子どもたちに決して教えてはいけないです。
言われたことがあります(おしゃまなうなぎ・未婚・25歳)
客観的に聞くと、「それはいじめられるほうも悪い」と言われるかもしれないが、わたしがいじめられた時も、いじめているほうの親がうちの親に向かって、同じことを言ったらしい。でも、「いじめ」って、された人にしかわからない辛さがある、いじめをする側(わたしの中では傷つける側)には、いじめられるほうの気持ちってわからないんだろうなと思ってしまう。

否定はできない(八雲)
「いじめられる」ほうを経験しました。その時の自分は目標を持っていて「いじめる」子たちを相手にしませんでした。そんな態度がよけいにカチン、ときたらしいです。8年後の同窓会にも、屈しないために出席すると、「いじめなかった」子にそんなことを聞きました。いじめられる側にまったく非がないとも言えず、人間同士、自分と違ったものを指摘することからいじめが始まる場合もあると思います。
いじめを受けていたわたしでも(セシル)
最近の「いじめられる側」の言い分には「仕返しが恐いから」という理由が目立ちます。もっともだと思います。でも「仕返しが恐いからなにもしなかった」というのは、なんだか納得がいきません。いじめが原因で、そんなふうに自殺していった人のニュースを見るたびに、「真剣に生きる気がないなら、自殺する資格なし。やる気あるの?」と思います。きついでしょうか? でも実際に、学生時代にいじめを受けていたわたしでも、そう思います。
誰の責任?(トトロのとなり)
クラスで、何でも一生懸命がんばり、先生から目をかけられ、よく用事を頼まれる子がいました。それが他の生徒たちのねたみにつながり、いじめの対象にされていたんです。この場合、責任があるとすれば先生の方ではないでしょうか。

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