

二度被害(sunao)
「いじめられる側にも責任がある」という意見は、それだけで、被害者を二度攻撃していることになります。事件発生時の環境や状況がどうであろうと、実際に危害を加える行為に「踏み切った」側が責任を取るべきです。この考え方を徹底しないと、加害行為が減らないことになります。
自覚のないいじめ(いつこ)
どんな言い訳をしても、いじめたことは他人の「人間としての尊厳」を冒したことにはかわりない。そのせいで、人生の設計が大きく変わった家族も多いのでは。親としてまず心配するのは、自分の子がいじめられていないかどうかだ。まず、いじめているとは考えない。子どものほうも、もしかしたら「いじめ」の感覚はないのかも。大人もそうかもしれないし、陰湿な感じがする。自覚のない「いじめ」は逃げ場が少ない分、本当の意味で被害者となってしまうかも。「いじめ」の問題を考える時、自分の言動を振り返る必要があるかも。
愕然としました(JINA)
YESとNOの割合に興味がありました。ひとりの親として、ひとりの人間として、NOが多いことに期待をしていましたが、わたしが見た時点でほぼ同数。わたしは「いじめられる側」にどのような原因や誘因があろうともNOと答えます。YESの背景は推測できますが、そのような捉え方が「レイプされる側にも責任がある」などの流れにもつながるような気がします。キャラがなんであれ、いじめられても仕方がない人などこの世に存在しないのです。
親の意識改革(めぐ・東京・未婚・39歳)
いじめられるような原因があったとしても、いじめていいという理屈は通らないと思う。原因は取り除けばいいのであって、いじめでの解決はあり得ない。そういう方法を教えるのが大人の責任だと思うが、いじめっ子の親の中には、自分の子を正当化するために、いじめられている子を非難する人もいるという。まずは、親の意識改革が必要なのではないだろうか。
いじめられる原因なんてあるわけない(コアントロー)
いじめられる側に原因なんてありません。いじめのきっかけなんて、第三者から見ればささいなことです。「どうしてそんなことで人をいじめるの?」と思うことがよくあります。驚いたのは、YESと答えている人がけっこういること。そう答えた人に尋ねたい。「じゃあ、いじめられる側の原因」って何ですか? と。人と違うことをするから? おとなしくウジウジしているから? だから自分以外の人をいじめてもいいの?
言い訳でしかない(もなこ・大阪)
子どもたちは、塾だの習い事だのお受験だのと絶えず追い立てられている。そのストレスを弱い立場のものにぶつけているのだと思う。それをいじめられている相手にも原因があると親が本当に信じているとしたら、そのことのほうが恐ろしい。いじめる側の子どもにも確実に棘は刺さっていくのだから。
人の心を踏みにじる権利はない(KAHO)
昔、いじめられていた子をかばい、いじめられたことがあります。学校に行くのもいやになりました。でも、学校に行かなくなることは、いじめていた子たちに負けたことになると思い、必死に通いました。さすがに根負けしたのか、いじめられなくなりました。でも、あの頃を思い出すたびにいやな気分になります。人が生きていく中で、戦争がなくならないように、いじめも差別もなくなることはないのです。何か弱みを見せると、嗅ぎ取って標的にするものが必ず現れます。厳しい社会を生き抜いていかなくてはいけないのは大人も子どもも同じです。「いじめられる側に責任がある」は小・中・高と何度も聞かされましたが、こんな言葉は、さもしい人間が言うことだといつも思っていました。人はいつ、自分がいじめられる側に回るかわかりません。子どもにはいじめられる側に回ってほしくはないけれど、いじめる側にもなってほしくない。ましてや、こんな台詞を言うような子どもにはしたくないです。いじめはいけないことです。決して許してはいけないことです。された側はひどく心が傷つきます。自分の存在自体が踏みにじられたように感じます。なくなってほしいのが本心ですが、そんなことはありえないんですね。
いじめるのは許容範囲が狭いから(ハナママ・神奈川・既婚)
わたしはいじめられる側に問題はないと思います。大人の世界でも子どもの世界でも、たいていのいじめは弱い者いじめだと思うからです。自分より強い人に向って行くのは、いじめとは言わないのかも知れませんが。いじめられる側にも問題があるなんて、ますますいじめられている子を追いつめることになるのではないでしょうか? たしかに、いじめるほうは、いじめられる子の何かが気に入らないからいじめ始めるのでしょうが、それは、自分と異なる者を認められない、または許容できないほうに問題があるのであって、いじめられるほうに問題はないと思います。
レイプされた側にも責任がある、と同じ理論(ころりーな)
子どものいじめは、ターゲットは誰でもよくて、いじめ行為自体にモチベーションがあるので、いじめられる側に原因があることもあるし、ただの持ち回りでいじめられることもあります。いじめられる側に原因やいじめになるきっかけがあることもあると思いますが、イコール責任があるというのは違うでしょう。仮に、いじめられる側に原因や否があったとしても、いじめてよいかというと決して許されることではありません。いじめられる側の責任というのは、レイプされた側にも責任があるというのと同じ論理な気がします。
「責任」ではないかもしれませんが(MANAMI・東京・既婚・38歳)
「いじめ」というのは、人間関係の中で起こるものです。なので、うまく立ち回れば「いじめられる側」にならなくてすむ、ということはあるのではないでしょうか。それに、周囲の人間をイライラさせてしまう人っていますよね。それを、その人の「責任」とするかどうかは別として。ただ、「いじめ」の問題で、どちらが「悪い」かといえば、それは「いじめる側」なのだと思います。ケースによっては、いじめる側に「情状酌量の余地」があるかもしれませんが、やはり、理由の有無に関わらず、「いじめ」を正当化することはできないと思います。

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