

他人の子どもも(Comic・宮城・既婚・51歳)
わたしは子どもの頃から、赤ちゃんや小さい子どもが大好きでした。自分の子どもは、あっという間に大きくなってしまい、もっと、たくさん子どもがいたらよかったと思っていたら、最近、近所の子どもが、両親が働いているので学校が終わったら、親が迎えに来るまでの間、わが家で預かることになりました。とてもやんちゃで可愛い男の子が、「ただいま」ってわが家に帰ってきます。自分の産んだ子どもの時と違って、余裕を持って接している自分に気が付きます。自分の子どもだったら、それをしたらいけないとか、ハラハラして見ていたことも、「子どもってこういうものだ」って経験でわかっているので、身の危険がない限り、大声を張り上げることもなく、一緒になって遊び相手になっているので、小学校一年生のその子からはとても好かれているようです。息子が一人増えたと思って将来を楽しみにしています。
わがままな母親です(もなこ・大阪・既婚)
小5の男の子の母親です。小さい頃は、3歳神話よろしく多少はがんばっていたような気がしますが、しょせん怠け者の本性はすでに子どもにもバレバレ。「仕方ないなぁ」というのが子どもの口癖です。どっちが親だかわからない状態です。でも一つだけ子どもに教えたいことは、世間の尺度で物ごとを測るのではなく、かならず自分の感覚で選択していくこと。正義感が強いと先生に褒められた時、わたしは子どもには「恐い時は逃げろ」と言いました。かっこ悪くてもいいから自分に正直に生きてほしい。こんな母親に育てられたら、将来のパートナーにもあんまり良妻賢母を期待しないと思う。
「母」のイメージからは遠いけれど(mamarin)
母親に向いているという意味はたぶん、常に石鹸の香りがしていて、お料理上手で、家事上手で、ケガや病気をしたら献身的な看病をするって感じでしょうか。それだとわたしなんか全然向いていません。でも格好良くて、元気で、一緒に楽しんだり怒ったり、議論したり、時には冷たくて、でも優しかったり。そういう母親です。長男はそんなわたしを受け入れていてそれ以上望んでいないようなところがありますが、娘はわたしを溺愛していて、「ママのようなお母さんになりたい」を連発。それはそれで心苦しいです。だってわたしって理想の母には程遠いのに。いわゆる誰からも賞賛されるニッポンの母、耐えて、文句も言わず、働きづめで、海のように広い寛容な存在という呪縛にとらわれなければいいのではないでしょうか。でもどんなに忙しくても食事だけは手抜きしないようにしています。その点では母に向いていると思います。
産んでみてわかった(もーも・大阪・既婚・34歳)
若い頃から、小さな子どもの相手をするのが苦手、やかましい子どもたちはわずらわしい存在だった。絶対母親には向いていないと思っていた。今でも子どもを叱り付けて興奮状態の時は「わたしなんてやっぱり母親に向いてない」と落ち込むこともある。でも穏やかな気持ちで子どもと遊んでいる時、話を聞いてやっている時、「わたしって意外といい母親してるんじゃない?」と思う。というより、そう言い聞かせている感じ。なによりも町で、あるいは友人宅で小さな赤ん坊を見ると、たまらなくかわいくて、「もう一度おっぱいを吸わせたい……」と思ってしまう。やっぱり母性本能ってあるんだなあと、改めて感動する。この本能に任せてもう一人、なんてことにならないように気をつけよう、なんて夫と話している。

思っていたのに……(Pimlico・神奈川・既婚・38歳)
わたし自身、長女で面倒みがいいので、子どもの頃から「いいお母さんになる」と言われていたのに、いざなってみると、年齢からか仕事に疲れてしまって、子どもの頃のように子どもと遊んであげられない自分。子どもとつきあうには、若さとか環境とかが大切かも。
待ち望んだ自由時間(HEIDI・茨城・38歳)
向いていません。子どもが好きで独学で保母試験を受けたり、保育園でバイトをしたりしましたが、実際母親になって自分の時間がないことにストレスを感じる自分に気がつきました。離乳食を食べなかったり、病気がちの長男となかなか心が通じあわなかったり苦労しました。今は小2と小5になり、それなりに子育てを楽しんでいますが、もう赤ちゃんなんて絶対育てるつもりはありません。同年代の人が3人目を産み「かわいくてしかたがない」とよく言うのを聞きますが、わたしは母親には多分向いていないのでしょう。

可愛らしくもあり、憎らしくもあり(チョコレートケーキ・神奈川・33歳)
子どもは「思ったようにならないもの」、とわかっていても、長男にしつけの振りで怒鳴っていたり、寄り添ってこられると幸せな気持ちになる。この波があるので子どもは戸惑うかもしれません。いつもわたしの態度が一定でないので、向いてないかもと思います。いつでも子どもを受け入れられる人が向いていると思うのです。
自然になるもの、それが「母親」(binko)
子どもを二人産んで思ったことは、もういらないと。誰も世話してくれないし、わたしが世話しなかったら、この子たちは、死んでしまうと思ったから、がんばって育てたように思う。つくづく子どもは嫌いだと思った。あんなに自己犠牲を払わなければならない子育て。小さな赤ちゃんを見るたびにわたしの子育てはもうわたしは終わった、と思う。自分の子どもはかわいいと思うが、他人の子までかわいいと思わないので、冷たいと言えばそれまでだが、母親なんて、向いてる向いてないでなく、「この子のためになることを信念をもって育てていれば、自然に母親と言うのになっているはず」だと思う。

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