

悲哀を帯びた原作がオカルト映画に(もなこ・大阪)
数年前の映画『死国』は、好きな作家である板東眞砂子が原作。死者とのふれあいが、土俗的な風土の中で描かれていてよかったが、映画はオカルト映画に。最後の一番大事な部分もカットされていて、何のために映画化したのかと疑問に思った。
『日の名残り』(chizuko)
カズオ・イシグロの原作に、滅多にアートにカタルシスを感じないわたしがものすごく感動したので、これを超えることはまずないだろうと覚悟はしていましたが、映画はやっぱりそれなりでした。まあ、この場合原作の世界がどう表現されている確認しに行っただけ……という感じで、鼻から期待はしていませんでしたが。

戦争ものは映像による説得力がすごい(checcoli)
『プライベート・ライアン』を観ましたが、大変衝撃的でした。映画公開後に、原作を本屋でちらっと立ち読みしたところ、やはり映像にはかなわない描写で、リアルさがあまり伝わってきませんでした。想像を超える内容の戦争ものなどは、映像化してこそテーマが伝わると思います。個人的には、コメディや恋愛ものは原作を読んで楽しむだけでも十分なので、あまり観に行きません。
中学生の時ハマった『風と共に去りぬ』(まどりん)
この歳までくると、原作に優る映画に出会うことはほとんどないですね。小6の娘でさえ『ハリーポッターと賢者の石』はショートカットにしか思えず、「本と全然違う」とこぼしていました。ただ『風と共に去りぬ』を中2の時に観て夢中になり、原作を父から勧められました。最初に観た映像が灼きついて、原作を何度読み返しても映画のまま思い出されましたが、それがあこがれで魅力たっぷりでした。与えられる映像が想像できる精一杯の知識を超えていたから。できない話だけど、この年齢で同じ映画を原作から入って、その後で観たら、どんな感想を持つかなとふと思いました。
『ベニスに死す』(SacchanM)
本のほうが想像力が駆り立てられるので、だいたいは原作本のほうが面白く感じるのですが、映像と音楽で訴えてくる映画も、なかなかのものはあると思います。映画の場合は時間の制約があるので、監督の力量が大きく関わってくるんでしょうね。『ベニスに死す』とかは、映像と音楽がとてもよかったです。
ストーリーを借りただけのものはダメ(ジョゼフィーヌ)
昔観た『ブレードランナー』(原作:『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』)とか『時計じかけのオレンジ』は、原作をよりパワーアップした独特の雰囲気があって、充分に納得のいくデキでした。その監督が、原作の世界観をどれだけ理解して、愛着を持っているかに大きく左右されるものですよね。ただ単に、設定とかストーリーを借りただけのものは、やっぱりダメなことが多いかな?
原作を超えた作品(hamaiso)
高樹のぶ子のように流麗な文章表現で知られる作家の原作を映画化しても、単なる恋愛映画として撮られ、「内なるエロス」が画面から発散してこない。しかし、作者が映画通で、書きながら一本の映像を作り上げているような文体の小説やエッセイの場合、制作者がイメージ通りのキャスティングさえすれば、ある程度は成功するのではないか。その昔、角川文庫のコピーに「見てから読むか 読んでから見るか」というのがあったが、ここ20年程、骨太の社会派小説なんかを映画化した場合は、原作を超えられないことが多い。いわゆる上流階級の描き方、巨悪の描き方がものすごく安っぽいからだ。過去に原作を超えたと思わせた作品は、テレビドラマの『白い巨塔』、映画の『華麗なる一族』『不毛地帯』『金環蝕』で、いずれも山崎豊子作品。原作者と制作者の意思疎通もさることながら、佐分利信、小沢栄太郎、中村伸郎、田宮二郎といった、今は亡き俳優陣が、重厚・巨悪というものを丁寧に表現できる俳優だったからだと思う。
作品によります(blue・神奈川・未婚・27歳)
映画と原作どちらが面白いか? わたしはまちまちです。『ビーチ』は原作を読んでから映画を観たのですが、映画の方が面白くまとまっていたと思うし、『ブリジット・ジョーンズの日記』も原作が先でしたが、こちらは原作の勝利。『グリーンマイル』は映画が先ですが、観ながら絶対原作がいいと思って読んだら、やっぱり断然原作がよかった。『冷静と情熱のあいだ』は原作を読んでよかったけれど、映画を観る気はなくなりました。どちらかといえば原作の方がいいかもなぁ。

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