

華道の先生のすてきな家にあこがれた(ななこ)
高校生の時に必修クラブで週1回習っていたことがあります。その後も教室を探して続けたいと思いましたが、忙しくてできませんでした。それでもお正月ぐらいは花を生けたいと思い、たまたま近くのカルチャーセンターでお正月の生け花教室があったので、何回か参加したりもしました。高校当時、クラブで教えてくれていた先生(教員ではなく華道の先生)のお宅におじゃましたことがあったのですが、とてもすてきなお宅で、友だちとあこがれたものでした。クラブには二人の先生がいらしたのですが、お二人とも茶道の資格もお持ちでした。茶道と華道は両方習う方が多いのでしょうか。
生け花は生けた人の分身(hidy・神奈川・既婚・40代)
大学生のころ、油絵を描いていたのですが、「生」のものを扱いたくなり、あまり「型」にはまらない流派を選び、6年間習いました。4年目ぐらいからのめり込み、本部での「30歳以下のための生け花教室」にも通いました。全国各地から月1回通ってくる人たちがいることにまず驚き、さまざまな素材を使った作品を目にして、生活の中のすべてが、素材になることを学びました。現在、夫が実家から「何かになるだろう」と持ってきた外灯用の透明ガラスの電灯カバーをつり下げて花瓶とし、アイビーをしたたらせて楽しんでいます。仙台の先生からは、「ただ漫然と生けない」ということを教わりましたが、それを肌で感じるようになったのは、自分が生けなくなってからです。駅のディスプレーや子どもの学校の文化祭などで「気」が込められた作品に出会うと、しばし足を止めて見入ってしまいます。生けられた花は、生けた人の分身なのでしょうね。
先生を信用できず、続けられなかった(plastic・東京・未婚・29歳)
もう4〜5年ほど前のことです。「生け花なんてわたしとは違った世界のもの」と思っていたのですが、身近で教室が開催されることになったのと、違う世界が広がるかもしれないという期待から習うことにしました。初日、とても楽しみにしていたし、花を見て気持ちがまさに華やいだのですが、わたしが持参したはさみが間違っていて、先生が大勢の生徒さんの前でそのはさみを高々と掲げ、大声で「これは違うはさみですよ、みなさん間違えないでくださいね」と言い、恥ずかしい思いをさせられました。とても傷ついたのですが何とかやり遂げ、次の回には正しいはさみを持参してまた挑戦しました。しかし、生け花を楽しむうんぬんの前に、その先生を信用できなくなってしまい、結局その2回でやめてしまいました。初めてだから仕方ないのかもしれませんが「ここをこう直してみなさい」というのではなく、すべて先生が生け直すのです。できあがった作品の写真を撮っても、うれしくも何ともありませんでした。わたしの作品じゃないし……。続ければ何か得られたのかもしれませんが、わたしには無理でした。
環境になじめなかった(ゆみぷん)
とある流派で習ったことがあります。来ていらっしゃるマダム方の、社会人としての常識のなさ、村社会体質、半強制的集団行動があまりにも居心地悪く、それなら自分で本を読んでやってみたほうがいいや、という感じでやめてしまいました。美しいものは好きなので、今もお花の本などはよく見ます。
習っていたがお金がかかりすぎる(里穂・中部・37歳)
昔、母に勧められて習いました。でも免状をもらって作品を出してとやっているうちに出費がかさむようになりやめてしまいました。どの習いごとでもそうでしょうがお金がかかりすぎるような気がします。花代だけでもお金がかかります。
先生との相性は大事(しょうっち)
あります! ただ、先生とウマが合わなくてやめました。どの習いごともそうですが、先生との相性は大事だと思います。花嫌いにはならなかったのですが、生け花からは遠ざかってしまいました。

花への心配りができる自分でありたい(はせどん)
生け花を習ったことはありませんが、ガーデニングには凝っています。緑のある生活がどうのこうの……といった格好いいものではありません。水やりめんどくさいなと思いつつも、枯らした時のショックを思い出して、枯らさないように必死で世話をしてる自分に、まだ自分以外のものに時間と気持ちを割けるのだと、安心していたいからではないか、と思っています。
心静かに生け花をしてみたい(みぃちゃん3)
習ったことはないのですが、興味は持ちます。慌ただしく過ぎて行く毎日ですが、時には心を静かに生け花や陶芸などをやってみたいものです。

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