
仲間と開く小さな演奏会に向けて練習中(らびっと・神奈川・パートナー有・34歳)
子どもの頃からピアノをやっていますが、今は育児が忙しく、なかなか思うように弾く時間がとれません。それでも、仲間と開く小さな演奏会に向けて、週に何十分程度でも弾くようにしています。あんまり頑張りすぎるのもストレスになると思いますが、できる範囲で自分の好きなことをやるのは、忙しさに追われる毎日でも自分を見失わない一つの手がかりに思えます。また、それをサポートしようとしてくれるパートナーの心遣いに改めて感謝することができました。
生涯を美しい音楽とともに生きるためのレッスンを(sarah)
自分の心がざわざわ騒いで落ち着かないときは、バッハを繰り返し弾くとスーッと落ち着いてきます。好きなピアニストの演奏を聞くのもいいのですが、自分の手元で音楽が立ち上り、それに囲まれる感じも格別なものがあります。子どもの頃の、厳しいレッスンに今になって感謝しています。
必ずしもプロにならなくてもいいですが、生涯を美しい音楽とともに生きるためのレッスンというのもあっていいと思います。子どものお稽古事にもそういう視点を取り入れてはどうでしょうか。大人になって始めた琉球三線ではなかなかこうまでいかず、誰もが最初に習う曲しかいまだに弾けません。やはり楽器は難しいですね。
留学中、ピアノに助けられた(自家製おおば・カナダ・パートナー有・33歳)
5歳から10年ピアノを習ったものの、中学時代は陸上部の部活に忙しくなり、レッスンはそのうち、うやむやに。高校生のとき、カナダへ1年留学。この時役立ったのが、ピアノ。音楽に言葉は要らない。再び習い始めたピアノで、地元コンクールで1位になったり、ホストシスターにレッスンしてあげたり。言葉がおぼつかない時に、随分ピアノに助けられました。ピアノの問題は、持ち運びできないこと。子どもができたら、フルート、クラリネット、バイオリンなど、世界中に持っていける楽器を習わせないな。
習い始めて知った意外なわたし(Ten・京都・パートナー有・36歳)
結婚してから、子どもの頃には習わせてもらえなかったピアノを個人レッスンで習いました。学生の頃合唱をしていてある程度楽譜が読めたことと、先生(わたしより年下の、当時新卒の人でしたが)が弾きたい曲をある程度尊重するようなレッスンだったので、ハノンとブルグミュラーからはじめ、習い始めて1年ほどでヴェートーベンのソナタ「月光」第一楽章やソナタ「悲愴」第二楽章、ショパンのワルツ1曲などが弾けるようになりました。転居したり子どもが生まれたりで今は残念ながらレッスンを受けていませんが、またぜひ再開したいと思っています。宝くじが当たったら、グランドピアノを買うことにしています(笑)。
習い始めて意外だったのは、ダイナミックな曲が好きだし合っているのではと自分では思っていたのですが、先生には「優しい曲をきれいに弾きますね」と言われたこと。自分の意外な一面を見たような気がしました。
楽しんで身になるレッスンを(maggiemaggie・神奈川・パートナー有・35歳)
音大を出て12年たちます。自宅でピアノを教えながら、演奏活動をしています。子どもが二人いるので、夜出掛けるのにやりくりは大変なこともあります。日本では最近まで、演奏することが楽しいと感じられるように育ててくださる先生が少なかったように思います。「ある程度」というレベルまで達するためには、幼い時からかなり厳しいレッスンを積まなくてはならないですし、他方で大手の楽器メーカーの教室ではお金もうけとしか思えないような劣悪な教師による、つまらないレッスン(と言えるのか?)が行われていて。外国ではいろんな職業の方がプロ並みに演奏するというのに! 楽しんで身になるレッスンをしたいものです。陰山英男先生の算数・国語のように。
技術的に劣っていても思いはちゃんと伝わる(高原・東京・パートナー有・29歳)
小学校の時にピアノを5年、吹奏楽部で打楽器を8年、トランペットを3年習いました。楽器を通して学んだ、得たものはたくさんありますが、中でも、自分の感じていること(=感性)を言葉以外のものに託すことができるということが一番すてきなものだと思っています。不思議なもので、技術的に劣っていてもそういう思いはちゃんと伝わるものなのですよね。社会に出てからは楽器をやめてしまいましたが、機会があればまた始めたいです。その時には合わせて作曲も習ってみたいです。
一つの物事を長く続けられたという自信につながり(ごろにゃん・埼玉・パートナー有・33歳)
以前にピアノ、琴、バイオリンを習いました。現在はフルートを習っています。中でもピアノは6歳から習い、約2年間の中断はあったものの25歳まで習っていました。小さい時にわたし自身が習いたいと言ったため、親が貯金をはたいてピアノを買って習わせてくれたのです。その時親から「あなたがある程度まで弾きこなすことができればあなたのものになるけれど、途中で簡単にやめてしまうのなら高かったんだからピアノは返してもらうからね」と言われました。負けず嫌いのわたしは「そんなに簡単にやめない!」と反論したのを覚えています。結果的に簡単にやめたいと言うことはできなくなってしまい、部活がどんなに忙しくてもレッスンを遅い時間にしてもらい、勉強がどんなに大変でもレッスンの時間だけは空ける工夫をしたりしました。ピアノを長く続ける努力ができたことで、飽きっぽいわたしが一つの物事を長く続けられたという自信につながりました。そしてピアノを習い続けることに協力してくれた親や先生を含め、周囲の人にも感謝の気持ちがわくようになりました。また、ピアノを続けたことでわたしの趣味はピアノを弾くこと、と堂々と言えるようになるなど、ピアノが思わぬ効果をもたらしました。
社会人になってからはストレスの多い生活になり、精神的な病気になる一歩手前の状態を経験してしまいましたが、休日にピアノを思う存分弾くと気持ちが安定してくることが多いと気が付きました。ピアノがストレス解消に一役かってくれていたのです。ピアノがあったおかげで大きなトラブルにならないうちにわたし自身を立て直すことができました。ピアノを弾くことはこれからもずっと続けていきたいと思っています。
二胡にすっかりはまってしまいました(はやぶさ・大阪・パートナー無・27歳)
今年に入ってから、二胡を習い始めました。何か新しい「楽しみごと」を見つけたいな、と思っていた矢先に二胡と出会い、衝動的にスクール通いを始めたんですが、すっかりはまってしまいました。二胡を弾いているときが、今のわたしにとって一番幸せな時間だと言えるくらいです。先日も友だちの結婚式で二胡を演奏したのですが、新郎新婦からもゲストのみんなからも「すごい!」と褒めてもらえて、とてもうれしかったです。来月には初めての発表会も控えています。かなり難易度の高い曲を披露する予定なので、ますます練習に力が入る今日この頃です。
演奏を披露する場がないと身が入らない(本の虫・千葉・パートナー有・32歳)
小学4年生頃までピアノを習っていましたが、練習が嫌でやめました。その後は高校生の頃にホルンを習いました。先生と気が合うこともあってこちらは非常に楽しかったのですが、事情があり1年間でやめました。その後は大学や市民の楽団でずっとホルンを演奏していましたが、忙しくなり楽団を辞めた後はすっかり吹かなくなってしまいました。せめて、レッスンだけでも受けようかと思ったのですがホルンのレッスン代は高いので踏みとどまりました。自分で地道に練習すればよいとは思いますが、やはり演奏を披露する場がないためか練習に身が入らず続きませんでした。でも、せっかく吹けるのだから、これからは練習日を決めて時々吹こうかな。