

超えられそうで超えられない?!(そよっち)
母の煮た蕗の煮物の味が、未だに再現できません。炒め煮のような感じでごま油をきかせて香ばしい香りのお料理なんですけど。もっとくわしく料理を習っておけばよかったなぁーと思います。母が他界してもう20年。他の料理は、そこそこ誰に出してもおいしいね、と言ってもらえるようになったけど、蕗の煮物だけは母を超えられませんね。ひと味足りないのは、想い出という調味料なのかも……?
おふくろの味は自分の中にある(恵美・大阪・既婚・42歳)
結婚してびっくりしたのは、夫がしきりに夫の母の味を恋しがることでした。わたしも、自分の母の味が一番だと思って育ったので、その気持ちは理解できるのですが、夫の母の料理をそっくりそのままを褒めちぎられるのは、わたしの存在が薄くなるようで、とても不思議で理解できないことでした。同じ関西なのに両家の味が、両極端に違っていたことも一因かも。そのギャップに一人激しく悩んだわたしですが、こう思うことにしました。女の人が男性ほどにはおふくろの味に固執しないのは、自分の中におふくろの味を作り出すことができるからだ……と。どうでしょうか。
みなさんは後悔しないように……(ナン・未婚・28歳)
母が急に亡くなり、1年が経ちました。母が元気な頃は、手伝いもろくにしない娘でした。今は、必要に迫られ料理をそれなりにこなしますが、自分の味付けに行き詰まり、母の味が無性に恋しくなって、切ない気持ちになる時があります。後悔先に立たずです。母の味は早く盗んでおくべきですよ。
愛情がこもっているから、一番ですよ(rizucherry)
外食もおいしいところは、たくさんありますが、毎日、家族の好き嫌いも考慮し、身体を気使ったメニューを考えて作るお母さんの料理が一番に決まってるじゃないですか。
すき焼きの思い出(ATSUKO)
今から15年前、祖母が亡くなる前のこと。久しぶりに、単身赴任中の父と下宿中の兄と入院中の祖母と全員集まった夕食。祖母は「お母さんが作ったすき焼きが食べたい」と申し出ました。高級料理店のすき焼きを食べたことがないので比較はできませんが、やっぱり母のすき焼きは最高! みんな満足してその晩は終わりました。その1ヵ月後、祖母は死去。家族みんながそろった夕食はその時が最後でした。今でも、帰省した際には「今夜はすき焼きにしようか?」と誰ともなく出てきます。
懐かしい母の卵焼き(れりあ)
3年前母を亡くして、最近よく思い出すのは母の卵焼きです。同じようにして作ってみても、なぜか同じ味にならない。母の料理が特別上手だったかどうかはわかりませんが、わたしにとって特別な美味しさだったのは、家族を思う格別な愛情の隠し味のせいだったと、懐かしく思います。
母の味はAwesome!姑はデパ地下グルメ……(Heidi・茨城・既婚)
結婚して10年、遠方に住む母から来る宅配便は宝物です。暮れは(大豆も)自家製の白味噌、赤味噌、白菜の漬物、自家製のお餅。夏はイチゴジャム、夏みかんジャム(果実も菜園から)、茄子の辛子漬け。まさに母の味。料理は素材を生かして薄味だけど本当に美味しい。もちろん、姑の料理なんか比べ物になりません。だって、主人の実家にたまに行くと、デパ地下や出前のお寿司だったりするもの。今、小学生の息子がいますが、できるだけ手作りの味を味わって欲しいと思います。もちろんわたしの母には一生及びませんが。
母の料理は、癒しの料理(めぐ・東京・未婚・38歳)
子どもの頃から慣れ親しんだ母の味は、やはり、ほっとする。高級なレストランの食事もおいしいとは思うけれど、どこか緊張感があって肩がこる。母の料理は心の底からくつろいで食べられる。癒されたい時は母の手料理に限る。
質素でも親の料理がいい(mieko)
年に2回ほど帰る実家。一人暮らしが長くなって仕事に追われ、ついつい、食事をおろそかにしがちな自分にとっては、やはり親の作る料理は何よりです。もちろんお金を払えば高級な料理も食べられるのでしょうが、母には勝てません。母はけっして料理がうまいわけではありません。どちらかといえば質素なものですが、子どもを想う親の気持ちが入っている料理は、何にも変え難いのではないでしょうか。ちょっと美しくまとめすぎ
家族の好みを熟知してる!(ちはる)
大晦日は母の作った「ソーキそば」で年越し。元旦は祖母の作った「中身汁(豚の内臓の料理)」で年明け。地元(沖縄)では、料理を大量に作り、それぞれの家庭へ持って帰るのが恒例。盆や正月には、親が作った料理を持って帰るため、鍋やタッパーを持っている人をよく見かけます。それぞれの家により味付けはもちろん、具も違うので、家族の好みを熟知した母や祖母の料理が一番なのは当然! ともいえますね。
味は問題じゃないと思う(ゆうりぃ・東京・34歳)
わたしにとっては、味より母が作ってくれたということのほうが重要なのかもしれません。お寿司や天ぷらは外で食べたほうが美味しいと思いますが、なんだか「作られたもの」という無機質な感じがするんですよね。母がわたしのためだけに作ってくれたというのが、何よりの調味料です。その日の出来事など、いろんな話をしながら食事をした子どもの頃の食卓の雰囲気とか、そういうものが母の料理にはおまけでくっついているような気がする。最後の晩餐には、絶対母の普通の手料理を食べたいと、ずっと思っています。

母の味はもうわたしの味(にゃおさん)
うちの母さんとは、もちろんわたしのこと。わたしが子どもに作る食事の方が、いつのまにか「一番」になったように、自画自賛しています。
自分で作る自分の料理が一番かも……(JU)
たまに、実家に帰って食べる母の手料理は懐かしいけれど、最近は自分で作る自分好みの料理が一番に思える(お母さんゴメンなさい……)。
今ではちょっと苦手に(Minami・東京・39歳)
子どもの頃は喜んで食べていた家庭の味なのですが、わたしが留学をしてスパイスの効いた異国の料理の味を覚えてしまってからは、ちょっと物足りなくなってきてしまいました。とくに食事とともにワインをよく飲むので、いまいち昔ながらの和食は合わない感じがするのです。それと、母が年をとってきて料理の感が鈍ってきたのを感じると、ちょっとさみしくなったりするんですよね。

母から学び、母を超えた!?(Jullia)
もちろん、母の味はとてもおいしいし、わたしの味の原点です。でも、食への興味はわたしのほうが強いらしく、母は「おまえの料理は珍しいものをおいしく食べさせてくれる」と、わが家へ食べに来るのを楽しみにしてくれます。たまには、上げ膳据え膳でごちそうして、母の味! !

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