
日本の姿勢を貫くべき(まめちゃこ・東京)
北朝鮮は強いことを言っていても、日本の援助がなければやって行けないはず。脅しをかけられても、日本の姿勢を貫いてもらいたいと思います。
世界平和のオピニオンリーダーに(み〜ひゃ♪・埼玉)
日本もアメリカみたいに、世界平和にむかって引っ張っていく国になってもいいと思う。大量の借金かかえながら他国にお金をあげることしかできないでは情けないと思う。
口火を切って国際世論を動かそう(delmar・東京・35歳)
実行すべきです。「対話」は話の通じる土壌のある方とは有効です。賛成ですが、もはや話の通じる相手ではありません。小泉さん、そろそろ、「対話と圧力」の順番を「圧力と対話」に変更して下さい。遺骨問題の時に、「日本の捏造」というのが北朝鮮の見解でしたが、「日本はそんな事せん!」と叫んでしまいました。あちらもどんどん、自分たちの価値を高める為に瀬戸際外交に自分で自分を追い込んでいますが、ここらで、一発、正式な圧力や経済制裁(実行するか、しないかは後で決めてもいいので)というカードを切りましょう。もっと、国際世論を動かして、国連の核査察に追い込みましょう。拒否したらアメリカは先制攻撃するでしょう、何故なら核の拡散は絶対許さないからです。その一歩手前であの国は譲歩する気ではないのかなあ?と予想します。Power politicsはあまり好きではありませんが仕方ないですよね、これ以上は。金正日さんもそれぐらい先までは実はシナリオを作っているでしょう。各国のリーダーがどんなシナリオのもとにカードを切ってくるか、目が離せませんが、たまには日本が口火を切ってもいいじゃないですか、これ以上なめられない為にも「やるときゃ、やるんだ!」という姿勢を貫きましょう。
なぜ今まで援助を?(アグネス・静岡・パートナー有・37歳)
あまり政治的背景には詳しくないので、よく分かりませんが。いままでの北朝鮮の対応を見ていて、逆に何故制裁を加えないのかが疑問です。経済的援助を数字の上で行っていても、実状は市民に行き渡っていない。その実状を今まで無視してきてなおかつ、援助を与えつづけてきたことには、あきれてしまいます。拉致問題が明らかになっても、対応が不十分でもNOといえない日本。北朝鮮の問題に限らず、ただ数字だけの援助(形だけの援助)からは卒業してほしいですね。

独裁者の行動原理を読む(ドクトル・シマコ・京都・24歳)
大学院で全体主義について研究している者です。わたしはキョマリンさんの考えに賛成します。普段、旧ソ連や旧東欧、毛沢東時代の中国、ピノチェト時代のチリなどについて本を読んでいてよく思うことは、彼岸と此岸は紙一重だということです。誤解を恐れずにいえば、独裁者たちは、非常に、非常に人間的な行動原理にもとづいて執政しています。民衆を思い通りにコントロールしたいという気持ち、自分を強く見せたいという気持ち、私利私欲を満たしたいという気持ち……。言い換えれば、「人間的」と「非人間的」というのが紙一重なのだといえるかもしれません。そのような点で、米国のフセイン政権打倒にわたしは強い違和感を覚えました。両方似たものどうしだと感じざるをえなかったからです。金正日政権のこともよく考えてみれば、われわれにとって許しがたいことはあっても、理解不能なことは何ひとつありません。いま経済制裁を実施すれば、北朝鮮国民はますます飢えに苦しむことでしょう。相手の行動を観察し、思惑を読むことでしか、両国の問題は解決しないと考えます。
北朝鮮の国民を平和に救済すべき(周)
北朝鮮の体制は良くないし、どうにかならないだろうかと思う。拉致家族の方の話を聞くと、そうだなとも感じるけれど、それでなくても酷い国での生活を強いられている北朝鮮の普通の人にまで影響を与えるような手段しかないのかという疑問も残り、今、経済制裁だけが正しい方法とは考えられません。もし、自分がああいう環境だったらとか考えはじめると、なんだか平和に救済してあげる方法がないのかなと考えます。国の外交態度などを批判し、拉致被害者の救出のためとはいえ、食べることもままならない北朝鮮の人をこれ以上の窮地に追い込んで孤立させることが解決につながるとは思えません。
責任のない民間を経済的に圧迫すべきか?(佐々木 一郎・神奈川・33歳)
民間の正常な経済活動に対する法的禁圧には、基本的に反対である。経済活動は、それに関わる個人にとって生存の基本的条件であり、これを国家権力によって奪うにあたっては、対象が国民であれ外国人であれ、死刑執行や開戦の場合と同様、最大限の慎重さが求められる。経済制裁を発動した場合、正当な範囲を大幅に超える(拉致事件に責任を負わない)人々の生存条件までもが奪われることが予想される。「一刻も早い経済制裁を」などという要求は、私にはとてもできない。