

まずは自分のため(Kikumi)
ボランティアに参加していましたが、自分が不健康になってしまって一次休止しているところです。他人に何かさせていただく、ということで自分の株を上げようという気持ちはカケラもなく、自分で車を運転し、ガソリン代を出し、まったくの無償でやるからこそ、自分の栄養になると思ってやっていました。今度復活するときも同じ気持ちだと思います。
そこにわたしの居場所がある(miyabi・兵庫県・未婚・26歳)
数年前、新卒で就職活動をしていた頃、とにかく誰かの役に立つ仕事を、人の心を満足させるお手伝いをしたいと思い続けておりました。ほんのささいな事でもいい、生きる上でああよかった、って思ってもらえるような手助けがしたく、誰かがそう思ってくれることで自分の存在価値があるように思えるのです。聞こえはきれいごとであるように取れますが、今まで生きてきた中でほっと一息つげる瞬間心が満たされたりします。そういう際にも見えないところで誰かの力が働いているわけなのですから、さほど難しいことではないのではないしょうか?ただ何事も度が過ぎるとよくはありません。この場合恩着せがましくなっては終わりです。
怖いんです(けいこ)
火曜日にmopetさんも書いていらっしゃいましが、わたしも良かれと思ってしたことが相手には押し付けになって、悲しい思いをしました。電車で席を譲れば「年寄り扱いしないで! 」と怒られました。会社で困っている人に「この手続きはこうすればいいですよ。」と言ったら、「そんな事わかってる。うるさい。」としかられました。わたしの態度が相手を不快にさせたのかと思うと悲しくて、それ以来、人に親切にするのが怖いです。自然に何かをすることができなくなりました。以前は相手の喜ぶ顔を見てわたしも幸せになれたのに。今は、コンビニで買い物した時のお釣を寄付するという地味なことしかしていません。
人の役にたっているという思いが生き甲斐になるのでは(kimimi・神奈川・41歳)
人間って人の役にたっているという思いが生き甲斐になるのではないでしょうか?母は、ガンで余命3ヶ月と宣告されて入院し、七夕の時に短冊に「元気になりたい」「みんなが元気に暮らせますように」そして、「人の役に立てる日がきますように」と書いたんです。普通の主婦だった母が死を目の前にして、そんな願い事をしたなんて……知ったときは感動しました。色んな形があるけれど、わたしも含めて、人の役に立っているという気持ちを実感したいのは、ごく自然なことではないかと思いますが。
少しハッピーになれるから(taku)
「スーパーで後ろの人のために扉を押さえて待つ。地下鉄でベビーカーを運ぶ。こうしたことが少しの間だけほっとした時間をプレゼントしてくれるように感じます。自己中心的ですが、こうした小さなハッピーがあるからやりたいって思います。
自分ができる範囲でやります(みのり・既婚・36歳)
最近「あしながさん」になりました。交通遺児への寄付です。きっかけは東ちづるさんの書いたものや出演TVでした。彼女は自分の有名さも利用できるから、利用するというやり方で、自己満足ではない、相手のことを考えた自発的行為だと感じました。わたしなんかまだ自己満足。でも、いいじゃないですか、それで助かる人がいれば。わたしたちはみんな回りに生かされているから、わたしもなんらか恩返しをする。仕事(普通の会社員です)もその一つ。子育ても、ボランティアも自然に続けていきたい。
難しいっ(ちゃーまん・未婚・28歳)
ボランティア精神って難しいと思います。自分にとって親切心で行った行動でも相手には迷惑だったり……って考えるとなかなか積極的に声をかけることが出来ません。本当はどんどん誰かの役にたちたいのに……。
自分自身にも優しく(yocca・大阪市・未婚・29歳)
役に立ちたいと思うけど、時には自分が犠牲になっているような気持ちになったりします。最近、人に「自分自身にもやさしく、自分が喜ぶことをしてあげた方がいいんじゃないですか?」と言われました。そういえば、自分に優しくできないのに、他人に優しくしなきゃって思うから、犠牲になってる感じがするのかな?って思いました。自分自身に甘えるという意味ではなくて、自分のことを優しくいたわれば、自然と他人にも優しくなれるかな……。
自分の受けた親切を次の人へ(バル)
人の手助けができる人達と言うのは、やっぱりなんらかの意味で、余裕のある人達だと思います。わたし自身たくさんの人達に助けられて今こうして生活しているのだと実感しています。その自分の受けた親切を具体的にお返しする事もありますが、大抵はそんなお返しをすることが失礼で不自然で時間的に不可能になる事も多く、ただありがたく受け止めてしまっいます。そのありがとうという気持から、今度はわたしが必要としている人に差し出せたらいいなと日々頑張っています。
心の葛藤(ゆと・茨城・未婚・21歳)
わたしが、人の役に立ちたいと思うのは困っている人を見かけた時です。坂道で自転車をおすお年寄りの方や、重そうな荷物を持っている人etc...でも、そう思う事自体が偽善のような気がしてなかなか声をかけられません。自分が上の立場から相手を見ているようで、自分に対して嫌悪感を抱く時すらあります。
無理の無い範囲で役にたちたい……(クリス・東京都・既婚・39歳)
電車の中でお年寄りや体の不自由な方を見かけたら席を譲るとか、手をお貸しするなどはしてあげたいと思います。あと、子どものお友達のママが何か用事がある時はそのお子さんを家でお預かりするなど、とても身近な範囲ですができる範囲でお手伝いはしています。困った時はお互い様ですもの……ただ、されて当たり前みたいになあなあになるのはいやだと思います。
ささやかなことでもいい(rainyblue・神奈川・既婚・47歳)
「あしなが基金」(交通遺児のため)と「夢・風基金」(阪神大震災で被災した障害者のための基金)に参加しています。日々あたりまえな日常生活を送れることに感謝する気持ちから始めました。ひとりひとりが思いやりを持って生きていれば、それがボランティアにつながると思います。どこかでボランティア活動をしていたって、日常で他人の悪口ばかり、やお年寄りに席も譲らず、じゃしょうがないと思います。日々の生活の中で、だれかの太陽になれれば、それだけでりっぱなボランティアです。まず、自分がささやかなしあわせを感じて生きていくことが大切だと思います。

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