

留学先で感じたこと(happyuki・26歳)
わたしは1ヶ月前、カナダのヴィクトリアに留学していました。ヴィクトリアの街は小さいので、バスでどこにでも行きます。このバスにバリアフリーを感じました。どういう仕組みかはわからないのですが、高齢者の方や車椅子を利用される方、またベビーカーを利用する方が乗車する際、道路側の前輪タイヤ付近が空気が抜けたように沈むのです。更に、バスの上位部分4分の1(優先席)は椅子が折りたたんで収納できるようになっていて、車椅子の方やベビーカーを押すお母さん方は、無理なく席を確保することができます。運転手さんが車椅子を固定する手つきがとても手馴れていますから、乗っている方もとても安心した表情なのです。もう一つ大切なこと。それは他の乗客の方の協力ですよね。たとえば、その優先席が必要な方が乗車すると、座っていたお客さんは席を立って(中にはわざわざ椅子を折りたたんでいく方もいます)スペースをあけるのです。わたしの友人はヴィクトリアに来て、初めてこのバスが沈むシーンを見たとき、写真を撮ってしまったと言っておりました。既述のように配慮されているバスは「特別車」ではありません。100%かどうかはわかりませんが、毎日通学していたわたしの目には90%の確立に感じました。このわたしの体験が何かの参考になるとうれしいです。

パパだってオムツ替えしたい(シアン)
乳児がいるので、普段から気になることはたくさんあります。歩道は傾いていて、放置自転車だらけで歩きにくいし、公園や駅の入り口には自転車での通り抜けを防止するために、逆U字型の柵が互い違いに設置してあって、ベビーカーで入るのに一苦労で、車椅子なんて絶対通れないと思う(そんなに入りにくいのに、障害者用のトイレがあったりするのが意味不明)。子どもとお出かけする時、いつも気になることは、男性用トイレには子どもと一緒に入れる椅子や、オムツ替えスペースがないことです。この前も子どものオムツ替えをするのに一人ではできない状況でだったので、パパは思い切って女性用トイレまでついて来て一緒に替えました。ほかに誰もいなかったからいいようなものの、緊急事態はどうしようか、といつも悩みます。最近はオムツ替えもミルクも当たり前にやるパパが増えているのだから、困っている人はたくさんいると思います。子どもイコールママではなくて、ニュートラルゾーンを作って欲しいな。
ベビーカーで感じたこと(akemimi・佐賀・既婚・32歳)
車椅子に触れる機会もないので、別の視点で書きこみます。子どもがベビーカーに乗ってたころ、初めて、道路のデコボコが気になりました。車で走っていると、フラットに感じていた、アスファルトの道が、意外にデコボコしていることに気づいたのです。段差もあるし。自分で体験しないと、ほんと、気づかないんだと再確認しました。もうそれから数年が経ち、またアスファルトのデコボコについて、忘れかけようとしています。常に意識を持ちつづけることの難しさも感じます。
まずは現場に足を運んで(mashi)
最近になって急によく聞くようになった「バリアフリー」という言葉。妊娠期間中やベビーカーを使う時に、やっとバリアフリーの意味が理解できるようになりました。バリアフリーを進めるには、行政担当者などに実際に現場を歩いて対応案を考えて欲しいと思います。
「関東の駅100選」に物申す(まつげ・関東・既婚・30代)
最寄駅が「関東の駅100選」とやらに選ばれましたが、やっと設置されたエレベーターは、駅員を呼ばないと使えず、しかもベビーカーレベルでは使用が可能かどうかもわからないという代物です。乳幼児連れのお母さんも気軽に電車を利用できるような配慮がほしいものです。近隣の他駅は、どんな人でもエレベーターが使えるようになっています。一体どういう基準で選ばれているのか、どこが名駅なのか、さっぱりわかりません。
ネットで投稿ができる行政システムは?(Happy)
妊娠中、子育てを体験して思ったことが、道路の段差が人によっては大きな障害になっていることがわかりました。車が衝突するのを防ぐ役目とはいえ、それなら道路と通路との間の「柵」だけでいいでしょう。こんなことはどこに言えばいいのか。ネットで投稿できる行政システムがあればいいのですが。
オリンピック来れるわけないやん(しど・大阪・既婚・34歳)
わたしの最寄り駅は、JR阪和線の各駅停車しか停まらない駅です。目の不自由な人、脚の不自由な人が多く乗降されていますが、駅構内は階段のみです。エスカレーター設置運動をされている方々が、時々駅前でビラを配っておられますが、設置する気配もありません。駅員さんも毎日車椅子を担いで大変だろうに……。大阪の駅は、JR、地下鉄、わたし鉄問わず、人に優しくない施設が多いです。健常者でも狭くて怖いホームも多いし。歩道の段差やガタガタは目を覆うありさまです。交通施設がこんな状態なのに、オリンピックを招致できると思っているとしたら、市のお偉方はなんにもわかっていないとしか思えません。目立つ所をキレイにする前に、することがあるでしょう、と言いたい。
施設も人も優しくなかった(はつね・東京・未婚・29歳)
膝を手術し、数ヶ月間松葉杖で生活をしたことがあります。階段しかない駅や建物、狭い店舗、段差だらけの道路、雨ですべる床、安心して通れる場所なんてないに等しいです。御茶ノ水など、病院が多い地域の駅でもそうでした。どうして車椅子の方が少ないのかがわかりました。逆によかったのは巣鴨。さすがです。でも何よりもつらく思ったのは、人の対応。とくに中年男性。奇異なものを見るような目、シルバーシートの前に行っても『夕刊フジ』を読んで知らん顔。親切にしてくれたのはコギャルも含めて女性ばかりで、日本のサラリーマンはそんなに疲れているのかと悲しくなりました。バリアフリーは施設より、人間の視点の問題ではないでしょうか。わたしも自分に経験がなかったら、きっと関心も持たなかったと思います。出産した友人は、ベビーカーを担ぐので、実感が大きいようですが。弱い者がはねのけられるような社会であることが問題なのです。不自由を感じたことのないエリートがつくった施設なんて使えません。
全然だめ(ドナルドダック)
父が車椅子です。そのため、歩道は本来は歩行者のためのものなのに、実際は車のためにあるのだ、ということに気がつきました。車庫の前は必ず斜面になっています。大通りには、途中で信号が変っても真ん中で止まることができるよう、ちょっとした「島」になっています。ですが、あの段差が車椅子の人たちにとって、どれだけ危ないか! 以前、段差があるために進めないで困っている人がいました。それに、「健常者・障害者」という言葉がなくなるのが本当のバリアフリーなんでしょうね。
デザインに対する考え方の違い(京)
「バリアフリー」という言葉を聞くたびに、今さらっていう感情がよぎります。遅すぎる。日常の公的な場所で障害を持っている人や、子ども連れの人、ご老人などは、怖い思いをすることも多いと思います。ただ、だからといって、取って付けたように手摺だのステップだのを設けるのが正しいとは思いません。わたしがデザイン関係の仕事をしているため、そのやり方がデザイン的に優れていないと思うからです。しかし、だからといって弱者に冷たいデザインがいいということではありません。世界的に有名な某プロダクトデザイナーは、一級の障害を持ってらっしゃいます。だから、彼の生み出す作品には、すべて基本に「ユニバーサルデザイン」というものがある。かっこよければいいという日本のデザインは、デザイン教育自体が遅れているせいだと思います。もっとこの先生のような教育者が増えれば、デザインというものに対する考え方も変わってくると思う。単に「手摺を付けました」などというのは似非バリアフリーでしかない。デザインの考え方そのものを深く考察し直す必要があるのではないでしょうか?
まだまだだと思います(tisa・埼玉・既婚・39歳)
最寄りの駅では現在、エレベーターを設置する工事をしています。それはありがたいことですが、そもそもうちの地域は道路が非常に狭く、ゆったりとした歩道もなくて健常者だって歩行が怖いぐらいです。2年前に膝の手術をして、退院後もしばらくは満足に歩けませんでした。階段の上り下りの大変だったこと。段差ではなく、緩やかなスロープに足を取られて人混みの中で転んでしまったこと。和式ばかりの公衆トイレで往生したこと。いろいろ思い出します。

わたしだって車椅子になるかもしれないんだから(けろー・21歳)
わたしが去年までいた学校はすごく、バリアフリーが徹底していて(実際車椅子の生徒も何人もいたし)車椅子でいけないところはないという感じでした。あの設備って健常者にとっても、使えるときがありますよね。それにくらべて、街には「ああここは入って来れないんだろうな」と感じる施設がまだまだたくさんありますね。この不況に大変だと思うけど、「健常者だけのための世界」になってしまわないよう、努力して整備して欲しいな。わたしだって明日車椅子になるかもしれないんだからね。

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