とりあえずの「一歩」
藤田正美(ふじた・まさよし)
『ニューズウィーク日本版』編集主幹
2003年6月21日
小泉内閣の「骨太の方針」第3弾の原案がまとまりました。今回の焦点は、地方自治を拡大するための補助金削減、地方交付税改革、税源移譲の「三位一体」の改革でした。つまりは、明治維新以来の「中央集権制度」を大幅に方向転換するというものです。日本の場合、「地方自治体」と名前は付いていますが、その実態は「中央集権」でした。カネ(地方交付金とか補助金)で中央に縛られていたからです。これでは地方自治は名ばかり、地方の産業振興もままならぬ、というわけで、今回の方針が出てきました。
センセイ方も中央官庁も利権を失う
この方針そのものは、いろいろ抜け道はありそうな気もしますが、基本的に歓迎すべきものだと思います。小泉さんが胸を張って「大きな一歩」と言えるかどうかは別にしても、少なくとも「一歩」であるとは言えるでしょう。もともと明治政府の方針は、それまでの封建制度の「藩」を廃止して、県を置き、そこに中央から県令(現在の県知事)を派遣するということでした。それによって中央政府の支配力を強め、国家制度を確立しました。その後、県令は廃止され、住民が県知事を直接選挙で選ぶようになりましたが、国は地方に対する「権限」を確保するために、カネで縛るという道を選んだのです。
そのカネを地方に移譲する、つまり税金を収受するのは地方自治体ということになるのですから、地元選出の国会議員の役割が大きく変わってきます。国会議員の重要な仕事の一つは、地元の利益団体や有権者の陳情を聞いて、その陳情を中央省庁に取り次ぎ、国家予算を分捕ってくるというものでした。それは国が財布を握っているからできることです。ということは、そこに絡む国会議員の「利権」が減ることになります。まあ利権を追い求めることより、国政に専念してくれれば日本の国にとってプラスでしょう。センセイ方の利権がなくなることは、中央官庁の利権もなくなるということです。ですからこれは北川前三重県知事が言う「脱官僚」にもつながります。
その一方で、地方自治体の責任は非常に重くなります。今までは、国からあれやこれやと口を出されても、「お金を出してもらうのだから仕方がない」という言い訳ができました。しかしこれからは、地方のアイデアが生きるわけですから、アイデアのある地方政府と、ない地方政府では行政の結果、たとえば、産業振興が大きく変わってくるでしょう。つまり、県知事なり県庁なりの行政手腕が問われることになります。
市民の質が行政の明暗を分ける時代
さてそうなると、県知事を直接選挙で選ぶ有権者の質も問われます。もちろん国会議員を選ぶ選挙でも有権者の質が問われていたのですが、より身近なところで政策をつくる人たちを選ぶのですから、行政の質が悪いということはすなわち有権者の質が悪いということになるのです。たとえば、「福祉を充実させます」という公約をする候補者を選ぶのか、「4年の任期中に託児所に入れないという状況を解消します」と公約する候補者を選ぶのか、というようなことです。当然、後者のほうが具体的で、結果的にその人が公約を実行したかどうかもわかりやすいでしょう。前者を選んだとすれば、4年後に「福祉がどう充実したか」を評価するのは難しくなります。
公約は、普通、口当たりのいいことしか言いません。しかし地方自治体の財政状況を考えれば、住民に犠牲を強いることも必要でしょう。調子のいいことしか言わない知事を選べば、それは自分の住んでいる地域について住民が勉強していないということにもなり、これでは悪しき民主主義である「衆愚政治」になってしまいます。つまり政治が有権者に近付いてくればくるほど、最終的な責任を背負うのは有権者その人であるということです。政治家が悪いとか、官僚がけしからんとか、いわゆる他人ばかり責めても世の中は変わりません。社会を変えようとする有権者の意思こそ原動力なのです。今回の骨太の方針第3弾は、まさにそこに向かう一歩だと思います。そしてわたしたち国民は、投票という形で責任を取る重さを実感し、日本のこの閉塞状況を打破しなければならないと思います。
関連リンク
地方分権と一人ひとりの責任(「私の視点」2003年5月13日)
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統一地方選があぶりだした地方自治の問題(「私の視点」2003年4月19日)
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国政選挙より地方選挙に足が向く?(ewomanサーベイ 2003年4月)
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