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平田 オリザさん
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自分の人生を中心にしながら、周りをデザインしていくっていうこと
- 平田
皆、いろんな役割を、本来、演じながら、お付き合いをして、社交しているはずなんですけれども、演じるということは、日本では悪いように思われてしまうんですね。
- 佐々木
それって、「人生はゲームである」みたいな表現を英語で言った時に、「ゲーム」という言葉が、日本語には特にしっくり来なくて、「えっ?」っていうところから始まったのを、今、思い出したんですが、それと同じことですね。
一方で、人生の主役が自分であるということを認識できたなら、随分幸せになるし、いろいろなことが主体的にできるようになるのでは、ということで、「主役力を高める」というような講義を最近しているんですが、そういう力をつけるということなんですか?
- 平田
それは大事だと思いますね。その時に、まず一つは、主役って、まさに役柄を演じるということですよね。もう一つは、私達演劇の世界の話でいうとすれば、演出をするっていうことだと思いますね。だから、主役を演じるということと同時に、きちんと世界を演出していく、デザインしていくと言ってもいいと思います。
- 佐々木
自分の人生の主役でもあるし、演出家だし、脚本家だということですね。
- 平田
それは、自分の人生を中心にしながら、周りをデザインしていくっていうことだと思うんですね。特に大事なことは、先程も申し上げた、コミュニケーションデザインっていう考え方だと思います。
要するに、個人のコミュニケーションのスキルの問題は、確かに大事なんだけれども、それだけではなくて、やっぱり環境を変えていったり、社会を構築していったりする、その主体を担うっていうことなんだと思うんですね。
そういうことを、日本の教育の中では、あまりしてこなかったんです。要するに、リーダーシップをつけるような教育は、してこなくて。
別に、ごく少数の人が威張ったりしているのがリーダーシップではなくて、誰でもリーダーシップは取らなきゃいけないんですよ、ある局面の中で。しかも、僕なんか大阪大学で教えていますから、大阪大学の大学院の学生なら、大学院を出て企業に就職したら、数年後にはリーダーシップが期待される立場に立つわけでしょ? ところが、リーダーシップを取るような教育って一個もされていないっていうのは、異常なことです。
だから、社会的な責任は誰にでもあって、しかも、ある能力を持っていて、国立大学でたくさんの税金によって育てられている学生達が、そういう教育を一つも受けていないっていうのは、とても異常なことなんですよね。
学生達は、コミュニケーションデザインセンターで、教授が来ると自分のコミュニケーション能力を高めてくれると思っているんですね。でも、そうじゃないんだよ、と。
君達は、もちろん自分のコミュニケーション能力を高めなさい、と。今は学生だから。でも、それと同時に、数年後に君達は、周りの人達のコミュニケーションデザインを考えてあげなきゃいけない立場に立つんだよ。部下が意見を言いやすい課長にならなきゃいけないんだよ、研究室のリーダーにならなきゃいけないんだよ、と。その両方を合わせてコミュニケーションデザインなんだってことを、よく言っているんですね。
そういう風に、一人一人が主体的に社会に関わっていくことが、たぶん、コミュニケーションで一番大事なことだと思うんです。
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