ホーム > 佐々木かをり対談 win-win > 第106回 根本かおるさん

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根本かおるさん
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私の訪問を心待ちにしてくれているおばあちゃんがいて
- 佐々木
トルコ、ブルンジ、コソボ、この辺りでは、大きな出会いみたいなものが何かありましたか? 今のきっかけになる、何か。
- 根本
コソボですかね。コソボっていうのは、NATOによる空爆が99年にあって、その後、2年間行ったんですけれども、アルバニア系の人たちにとっては、NATOの空爆の後は、勝てば官軍っていう形でコソボに帰る、ふるさとに帰るっていう形だったんですけど、非アルバニア系、特にセルビア系の住民にとってみれば、まったく逆で、ここから流浪の人生が始まるわけですね。セルビア系の人たちは、逆に、住んでいた家を追われる。その両方に直面していたわけですね。
私が受け持っていた町に、戦争の前は、およそ1万人のセルビア系の人口があったんですけれども、戦争の後、空爆の後は、15人になっちゃったんです。
- 佐々木
15人は、厳しいですね。
- 根本
その町の中は、戦争が終わった後、火を放たれたセルビア系の人たちの家がバーッと無残に残っていて、その合間にポツンと数軒、まだ人が住んでいるセルビア系の人の家があるわけですよね。
で、15人までになってしまうと、それこそ家の前に、NATO軍を中心とする多国籍軍のミリタリーポストがあって。そうでないと、それが一度なくなってしまうと、襲撃されて、家を焼かれて、その人たちは、もしかすると生命の危険に冒されちゃうかもしれない。その人たちは、外に出られないんですよ。軟禁状態ですよね。で、一軒一軒訪問して、「今日は大丈夫ですか?」みたいな、本当に社会福祉みたいな仕事もしていたんですね。
その中に一人、私の訪問を心待ちにしてくれているおばあちゃんがいて、バルカンの人たち特有のごわごわの肌なんですけど、行くたびに抱きかかえてくれて、朝から強い地酒ですけど、ラキアっていうお酒を飲んでいるわけですね。
そういうものを見るにつけ、コストパフォーマンス的に言うと、非常にコストがかかる仕事ではあったんですけど、私のことを心待ちにしてくれている人たちがいるということで、非常に想いをもって訪問をしていたんです。
コソボの中に、ところどころ、セルビア系の人たちがある程度の集団をもって暮らしている町があるんですね。数千人規模でまとまって暮らしている場所があって、そこには、バーも、お店も、レストランもあったりします。そういう場所に、15人しか残っていない人たちの中から、希望者は軍の警護をつけて訪問してもらうために、バスツアーを、1週間に1回仕立てていたんですよ。
- 佐々木
すみません、私、よく分からないんですけど、その15人は、何でそこに居続けるんですか?
- 根本
それは、離れたら最後、家が焼かれて……。
- 佐々木
焼かれちゃうから。で、住んでいた家とか、その場所の思い出から、やっぱり土地から離れたくない、と。
- 根本
家族全員が残っているというわけではなくて、若い衆や、学校に行かなきゃいけない子ども、孫とかは、集団でまとまりをもって暮らしている所に逃れさせる。先に行かせる。残っているのはお年寄りだけなんです。
- 佐々木
そうか。最後に家を守っているんだ。
- 根本
そんな感じだったんですよね。けれども、一人欠け、二人欠け、やっぱり「もう、どうにもならない」と言って逃れていく人たちもあったし。非常に心に残る仕事でしたね。
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