ホーム > 佐々木かをり対談 win-win > 第106回 根本かおるさん

106 |
根本かおるさん
|
|
|
ふるさとに帰っていくプロセスをお手伝い
- 佐々木
そうか。基本的に、ブルンジへ行かれたり、コソボへ行かれたりしていても、同じような仕事が続いていたんですか?
- 根本
私は、あえて違う仕事を選びました。もちろん難民認定審査の専門家になるような人もいるんですけど、私は、なるべく、オールラウンドプレーヤー的に、いろんなことをしたいと思って、トルコの次はアフリカ、それもフランス語圏。ここでは逆に、難民となってタンザニアに逃げたブルンジの人たちが、今度はふるさとに帰っていくプロセスをお手伝いするっていう仕事だったんです。
- 佐々木
それは嬉しい仕事ですね。
- 根本
そうですね。嬉しい仕事ですね(笑)。タンザニアのキャンプから、トラックに乗ってブルンジとタンザニアとの国境地点まで来る。そこで、今度はブルンジ側のトラックに乗り換えるわけですね。そのときは非常に硬い表情をしていた人たちが、今度、ブルンジ側のトラックに乗り換えて、自分のふるさとの町まで行くにつれて、だんだん顔が緩んでくるんですよね。
で、最後の方は、嬉しくてたまらないっていう顔をしていて、最終的な場所まで着いて、そうすると迎えの人たちが待っていて、感動のハグの場面があって、そこに居合わせる機会が何度もあったので、本当に、これはよかったなっていう。
- 佐々木
そうですよね。難民に来る人ばっかりの仕事よりも、戻っていく、プロセスの最後というか、一番いい結末を見ることができたのは、逆に、長くこの仕事をやっていこうっていうモチベーションにもなるでしょう?
- 根本
なりますね。ですから、あまり悲劇ばっかり見る任務がずっと続くと辛くなるので、やっぱり、いい具合でミックスしていかないとね、と思うんです(笑)。地域的にも私はさまざまな場所を任地として選びました。
ブルンジで、途方も無い貧しさや欠乏を目の前にしてどこから手を付ければいいのかわからなくなったことも、自分の成長に欠かせなかったと思いますし、コソボでヨーロッパの民族問題に触れて、それも多国籍軍と連携しながら仕事をできたことは、視野を広げる貴重な経験でした。身体で覚えたというか。
- 佐々木
そうですね。私は、難民キャンプというと、ジンバブエ、モザンビーク、マラウイに行かせていただいたんですよね。UNHCRの方と一緒に2週間くらいだったでしょうか。それまでも、ベトナム難民の取材を香港などではしていたのですが。
そこで、リーダーによってキャンプの明るさが全く違うっていうのを見ました。モザンビークは、そもそも私たちがいたテテっていう所が、とても貧しい、どこがキャンプなのか都市なのか、区別がつかないような場所だったんですけど、そこのキャンプのリーダーは暗い人で、キャンプ全体が、本当に暗い、悲しいキャンプだったんですね。
でも、ジンバブエのトンゴガラキャンプっていう所では、取材させていただいて、そこで寝泊りさせていただいたのですが、もう、明るかった。リーダーがアメリカで教育を受けたジンバブエの男性だったのかな? 私たちが取材に行くと、イヤリングを5つぐらいしちゃって、「Be happy!」とか言って、迎えてくれて。
私たち、彼の部屋の近くに寝ていたんですけど、彼の所に毎晩、難民たちが相談にやってきてました。とても明るくて、清潔で、活気のあるキャンプだったんですね。
- 根本
それはおっしゃる通りです。ただ暗いだけだったらいいんですけど、なかには高圧的な人、締めつけ型の人がいたりして、みんなが自分の意見を言うこととかを許さない場合もありますね。会われた難民のリーダーというのは、男性でした?
- 佐々木
男性です。両方。
8/28
|
 |
|
|