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杉山ちなみさん
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「See you again」を言わないと、通してくれないような感じだった
佐々木
個人的な所に戻るんですけど、横浜生まれで、小学校・中学校・高校と、私と同じ学校を歩まれているわけですけど、ご両親はどんな方だったのですか。どういうふうに育ったのでしょう。
杉山
私は、横浜市保土ヶ谷生まれで、かをりさんと同い年の姉が一人いて、父親は小さな会社を経営していて、普通に育ったんです。母方のおじいちゃんおばあちゃん達も、一緒に住んでいました。
佐々木
お父様の話が、高校進学のところで随分出てきたけれども。
杉山
父をすごく尊敬しています。保土ヶ谷にいたから、私は本当は保土ヶ谷の公立の小学校に行くはずだったんですが、母と、幼稚園の園長先生の企みで、なぜか横浜国大の附属横浜小学校を受けさせられて入ったんですよね。それで、保土ヶ谷から電車通学だったので、父親が、かわいそうだからって言って、学校の近くに引っ越してくれたんです。
佐々木
そうでしたね。それで我が家とも近かったんですね。私たちも、鶴見にいたのに、どうせ引っ越すなら学校の近くにって、山手に引っ越しました。
杉山
それで、あのあたりは外人さんが多かったじゃないですか。学校から私が家に帰るまでに、必ずイタリア系アメリカ人の家の横を通らないと、家に帰れなかった。
佐々木
うちの裏も、イタリア人でした。
杉山
それで、横が、黒人の家だったのかな? レイシーさんっていう家。ともかく、その家の前を通る時に必ず、退役軍人さんが庭でお散歩しているんですね。で、必ず会うんですよ。会った時に、絶対に「Hello」と「How are you?」とか「See you again」を言わないと、通してくれないような感じだったんです。関所ですよね。
だから、そこでそんな事を毎日繰り返していたから、その3つの言葉はしゃべれるような環境にいたんですよね。それで、自分の中で英語が好きになったというか、それは父のお陰かな。
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