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杉山ちなみさん
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「お前には教育を財産として残すつもりだ」
- 佐々木
お父様は英語が好きだった。
- 杉山
少年飛行兵で戦争に行っている人間で、自分のやりたかった事ができなかった、と。で、アメリカに対しての戦争だったにもかかわらず、本人はアメリカに行きたかったっていう気持ちがあったみたいなんですよね。だから、それがすごく強かったらしくて、「英語は勉強しろよ」とか「ともかく、向こうに行く機会を作れ」という事は前々から言ってくれていました。
だから、アメリカに行く時にも、「うちは金がないから、財産として残すものは何もないけど、教育は財産として残るから、お前には教育を財産として残すつもりだから、行け」みたいな感じで言ってくれたんですよ。
- 佐々木
いい言葉ですね。そこまではっきり、言ってくれた。
- 杉山
そういう事を言ってくれる父親だったので、裕福な家庭ではなかったにもかかわらず、行かせてくれたというのは、本当にすごい事だったんだろうな、と。
- 佐々木
それはいい話。だけど、スポーツに目覚めていったのは、家庭環境とかは、あまりないんですね?
- 杉山
父親は学生の頃、柔道をやっていて、母親はバレーボールをやっていたぐらいで、別にそんなに強いわけでもないし。
- 佐々木
でも、やっぱり運動をやっている家庭なんですね。
- 杉山
好きだったですね。だから、両親でボーリングに行ったり、ゴルフに行ったりとかは、よくしていて。後は、横浜球場にボックスシートとか持っていて。それで、横浜球場に、野球をよく観に行ったりとかもしていたし。
- 佐々木
ボックスシートを持っている家庭って初めて聞きました。スポーツ好きで、その上、「英語を勉強しなさい」とか「海外に行きなさい」と言ってくれた、という環境なんですね。そして、学校も、横浜国大の附属小中で、その後、外語短大の付属高校。……という背景から、私と同じで、伸び伸び成長したんですね。
- 杉山
そうですね。そこまでは、ちゃんと親の言う事を聞いていたんですね。外語高校を選んだのも、母親でしたね。私は緑ヶ丘高校へ行きたかったんです。その頃は違う夢を持っていたので、そっちに向かってまっしぐらだったんですけど。
- 佐々木
どんな夢を持っていたんですか?
- 杉山
私、北海道大学に入るのが夢だったんですよ。牧場経営がしたかったんです。
- 佐々木
それも似合いそうですね。
- 杉山
だから、小学校の時の私の夢は「牧場経営」って書いてあります。まだ、それも夢なんですけど。
- 佐々木
できそうですね。
- 杉山
やりたいですね。
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