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西 樹さん
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きっかけは大阪万博だった
- 佐々木
大阪出身でいらっしゃるのに全然大阪弁が出ないですよね(笑)。関西ってコンテンツ系の街が多いと思うんですけど、そういったベースが、「シブ経」とつながりがあるんでしょうか。
- 西
個人的にはありますよね。兵庫県の尼崎は関西の下町だったんで、周りに商店街とかそういうのがいっぱいあったんです。だいたい関西の人にそう言うと「勝った」という顔をされるんです。「俺より下だ」って。外から見ると怖い街なんですが、本当に下町のおばちゃんがいたりとか、クラスメートには家が商店街で時計屋さんやってたりとかいう人がいて。
路地裏とかで遊んでいたという歴史はありますね。もう一つはですね、小学校4年生の時に大阪万国博覧会があって、それに僕は、めちゃくちゃ触発されたんです。もうどうしようもなく(笑)。
あれって別に世の中のニーズに応えてやってるわけではないですよね。やらなくてもいいものなんだけど、それをいきなりゼロから千里(大阪府・豊中市)の丘陵にあんな巨大なものを造って、岡本太郎が太陽の塔を造って。大阪万博の時に、こんなことに絡む仕事、価値を生み出す仕事に就きたいと思ったんです。
その時は広告代理店という存在を知らないので、建設会社かなと思って、小さい時に建築士になりたいと書いてるんですけど。とてつもないエネルギーで価値をつくって、それに対して人が2000万人も集まったという、あのインパクトというのは今の仕事に多分向かったそもそものきっかけだし、「とりあえずそっちだな」と決まったというのはありますね(笑)。
- 佐々木
その後『アクロス』という雑誌に出会われたり、浜野商品研究所の浜野安宏さんというすごい人に出会われた。
- 西
そうですね。それに、東京に出て来て、僕が学生だった時は4年間ずっと渋谷だったんですよね。4年間渋谷のキャンパスにいて、その時にまた街をさらに見ていて、そういう出会いがあったということで今につながっていったんでしょう。
89年に横浜博覧会があって、その時博報堂と一緒に小さなパビリオンを一つ企画させていただいて、夢が果たせたかなっていう(笑)。会社を興して1年目だったんですが。
- 佐々木
どちらのパビリオンだったんですか。
- 西
キーコーヒーが1920年代のカフェを再現したパビリオン。うちの第一期と第二期の売り上げにドーンと入っていますけど、そこから始まったんです。博覧会ということにコミットができて楽しかったなって思いますけどね。
- 佐々木
わたしたちの世代だと、大阪万博はインパクトがあったよね(笑)。
- 西
ありすぎですよね(笑)。インパクトありすぎます。大阪万博のちょうど真北にある私立の高校に通ってたんですが、学校の窓から太陽の塔の背中が見えるんですよ。授業中に太陽の塔の背中を3年間見続けていましたけどね(笑)。縁があるのかな、と思いますね。大阪の人は街とのかかわりがやっぱり好きというか、もう染み込んでいますね。
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