ホーム > 佐々木かをり対談 win-win > 第11回 西 樹さん

11 |
西 樹さん
|
|
|
プランナー全盛の時代に
- 佐々木
オズマを退社されて、独立された。すると起業は87年?
- 西
88年。
- 佐々木
わたしが起業したのと同じ時期なんですけど、「起業」という言葉はなかった時代ですよね。そうすると男性が3年働いて、会社を辞めて、20代で会社をつくるっていうのは当時珍しかったんじゃないですか?
- 西
あのころはプランナーと呼ばれる職業の人たちは人気があってですね、独立するプランナーの人が多かったんですね(笑)。
企画書が書けるだけでお金になった。あのころ独立した人って、景気もよかったんで、仕事もたくさんあったんですね。だから今みたいに起業して公開を目指すとかっていう大義を持って独立した人は、当時皆無だったと思うんです。
どちらかというと、「独立」=「なんか会社と折り合わない」といった感じ(笑)。ちょっとわがままな人で、会社に収まらない人が、しょうがないから外へ出ちゃう。それでも仕事があったんですね。
僕もどちらかというとそういう口で、仕事として会社から言われること以外にももっとやりたいことがあるんだけど、会社ではそれができないから、まあ外に出てやればいいや、っていうぐらいの考えでしたよね。
- 佐々木
起業したてでもどんどん仕事はきたということですね。
- 西
おかげさまで。そのころはプランニングの仕事がすごく多くて、あのころ企画書を書くといくらもらえる、みたいなのがあったんですよね。だからいっぱい書いて(笑)。
- 佐々木
そういえばそういう時代があったかもしれない。
- 西
うん。それが通る通らないは関係ない。とりあえず企画書1本でいくら、みたいな……。企画書書きでとりあえず食いつなぎつつ……。うちも 15年ぐらいになるんですけど、いまだに生き長らえている理由の一つは、PRという戦術を一つ持っているからだと思います。これがただのプランニング屋さんだったら、消滅していたと思います。
時代のニーズっていうのはゆっくりしか高まってこない、それでもなくなりはしないんだなっていうことを感じていて、今15年やってきたっていうことの中で、PRという戦術に感謝しているところはありますよね。
2/16
|
 |
|
|