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古川享さん
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自殺まで考えさせられたのは誰よっていうぐらい
- 古川
大好きって…… いう気持ちとはちょっと違う感覚かなぁ。だけど一緒に仕事がやれて良かったと思う。だけど、でも人から何か罵倒されるっていうレベルでは、クラッシックコースで叩かれて、壊されたという意味では、あそこまでやられたことって、人生さすがにないですね。
- 佐々木
ビル・ゲイツにやられた?
- 古川
本当に追い詰められて、自殺まで考えさせられたのは誰よっていうぐらいのね、そのぐらいやられたから。
- 佐々木
それは例えば、どういうシーンで?
- 古川
あのね、1984年のクリスマスパーティーがあったの。シアトルのダウンタウンのフォーシーズンホテルのガラルームに全員300人ぐらい、全社員が集まったのね。
そこで、僕の顔を見て、ビル・ゲイツがドドォーっと走ってきたから、「今年の売り上げ、世界で一番で、良かったな」ってほめてくれるのかと思ったら、「バカ野郎! ここから出ていけ!」って、いきなり言いだして。
そのときね、MS-DOS用ソフトでワープロがなかったからジャストシステムで日本語ワープロを作っていたのね。マイクロソフトってリレーショナル・データベースがなかった。データベースの概念も知らなかったから、表計算のカード型のをデータベースと呼んでいるみたいな、そのくらいだったの。僕らはそのころ、インフォミックスの日本代理店をやっていて。オラクルがはやる前に、実はインフォミックスが全米でもかなりいいポジションにつけていて、それも日本語化とか、ワールドワイドにね。それをアスキーとしてやっていた。
でね、ワープロやって、データベースをやって、ある意味では個人のパソコンのおもちゃとか、UNIXをベースにしたOSの日本語化をやっていて。ソニーのNeWSワークステーション上のUNIXは僕らが作ってたんですよ。
- 佐々木
古川さんたちが作ってたんですか?
- 古川
そうなんです。その頃、僕が優秀なプログラマーを集めて、バークレィ版のUNIXの日本語化をやっていて、TeXなどのアプリケーション、それから漢字ULTRIXとかもやってたのね。
カード型のデータベースはデータベースじゃないから、本物のリレーショナル・データベースをバリバリ作ってました。マイクロソフトはまだ日本市場向けアプリケーションはマルチプランとチャートしかなかったので、そのとき、社外の人とワープロを作ってますと。
僕は、マイクロソフトのビジネスを成功させるために、日本のアプリケーション企業との補完関係を作っていたわけです。いくらOSが良くたって、日本語ワープロが1つもなかったら誰も使わないじゃない? データベースは日本の会社に成功してもらおうと思って、ワープロを作ってもらったりしてたんだけど。
でも「そんなことをしている間に、OSを持っているだから、MSXの普及とかを頑張ればいいのに、なんでそんなことをやっているだ。なんで日本語ワープロをマイクロソフトで作らないんだ」って思ったんだよね、たぶん。
営業成績的には、全世界で一番良くて。でもいきなり、それをガァッーと責められて、12月のクリスマスパーティーで、雪は降ってなかったけど、シアトルだから、しとしと雨が降っている冷たい夜にいきなり放り出されて。
- 佐々木
ええっ?
- 古川
それから2年間。2年間、シアトルに行けなかった。
- 佐々木
行けなかったっていうのは呼んでくれないの?
- 古川
呼んでくれないというか、「二度と来るな、お前の顔は見たくない」っていう状態で。それは社長になる直前ですよ。ほぼ2年間の間、
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