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古川享さん
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インターネットになる直前に
- 古川
でもアメリカに行ってみたら、たまたまコンピュータのネットワークがちょうどできてきたころで。アルパネット(ARPANET)がインターネットになる直前に、実は南カリフォルニアの大学を全部つないで、サイバーネットというのがあったんだけれども、それに直接アクセスしてみたら、大学だってバークレーだろうが、スタンフォードだろうとね、自由に入り込んで、そこで一番面白い人間と自由に会話をしたり、その研究室に転がっているのを自由に触ってみたりね、いろいろできたの。
- 佐々木
70年代の後半。
- 古川
77、8年。コンピュータってパソコン1台と、人間がコミュニケーションするのは、社会から隔離されて、阻害された状態で、人間もコンピュータも非常に閉じた世界の中に閉じこもってしまう感覚になる。
でも、ネットワークがつながった瞬間に、実は大学の壁も国の壁も時間の壁も全部飛び越えて、自由に痛みだとか喜びだとか、怒りを全部共有できるような時代が来るんだなということを体感的にそこで学んだわけね。
言いたいのは、そのときに僕が、Stanford Research Institute(SRI)に行くと、大学の教授たちがね、「これをさらに進めるには、あと2億円要るんです。企業の人も5千万ずつ4社出してくれたら、その成果を山分けするときに何%ずつ戻しますよ」なんていうことが公開されていたんですよ。
- 佐々木
ネット上に?
- 古川
いや、そのときはネットに公開するという概念もなかったから、本当に図書館で閲覧室みたいなのがあって。僕は例えば、アスキーの社員証を持ってね、取材で来ましたっていうと、大学はちゃんと見せてくれて、日本の会社がそこにお金を落として、どんなことをしているのかが自由に閲覧できるわけ。
それで、なんで日本の企業と米国の大学ではそのような産学連携ができているのに、日本の大学はそれができないのかな、というジレンマを感じたわけですよ。
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