ホーム > 佐々木かをり対談 win-win > 第16回 秋元征紘さん

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秋元征紘さん
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LVMHへ
- 佐々木
ケンタッキーからペプシに行って、ケンタッキー戻ってきて常務になって。その次は?
- 秋元
順調に推移してたんですけど、ある日突然、親会社出身の副社長が僕の上に就いたんです。「どうしようかな」と思ってたら、ヘッドハンターが来るんです。ちょうどいい年齢じゃないですか。
実は、その2年ほど前に、あるシューズ会社のヘッドハンティングを受けたんですが、よく調べたらその会社はちょっと弱い。「スポーツシューズをやるんだったら、ナイキだな」と思ってその時に断わったんですよね。「ナイキの話だったら受けるけど」って。そしたら今度はナイキが来ちゃった(笑)。「お前そう言った」って言うんですよ、ヘッドハンターが。
だいたいよく考えてみると、やっぱりいきなり社長のポジションを求めているというのは、よほど何かあるからそういうことになるんですね。僕もそういうことは薄々感じていたんですけど、「まあやってみようかな」と思って。それでナイキの社長になったんです。
ナイキはすばらしい会社でした。フィリップ・ナイトという創業の会長はとてもおもしろい人ですが、ナイキの創業は「オニツカタイガー」、つまり今のアシックスの鬼塚さんとフィリップ・ナイトの個人的な関係から始まっているんです。余談ですが。
- 佐々木
それが40代後半。ナイキの後がゲラン? ナイキには何年いらしたんですか?
- 秋元
2年ですね。49歳ぐらいの時にゲランですよね。49歳だか50歳だったか忘れちゃったけど。
2年目の後半に、多くの改革を推進し、ビジネスは順調でした。ところが、日本でやったような改革を香港でやってくれないかという話になって、香港に行ったんですけど、どうも、直感で「これはやばいな」と思ったんですね。まず香港の人がわからない。ベトナムなんかで現地生産とかいろんな話があったけど、これは僕の得意分野ではないと思いました。
そんなときにワーッと本当に六つぐらい、社長の話が来たんですよ、ヘッドハンターから。全部本社行って、インタビュー受けて(笑)。その最後が LVMHだったんです。人事でトップのマダム・ランショーという人とゲランの社長と東京で会ったんですけど、それで「パリに来てほしい」という話になって、行ってみると、彼女に説得されることになったんです。
殺し文句はね、「あなた、パリ好き?」って言うんですよ。「好きだ」って言ったら、「あなたはもう50歳でしょう。50歳になったらね、こういうところがいいわよ。わたしもカーネギーメロン大学に行って、インテルに行った。でもアメリカ人と仕事するのって疲れるでしょう。あなたは日本人だからこういう文化はわかるでしょう」と説得されたんです。
- 佐々木
さすが人事(笑)。
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