ホーム > 佐々木かをり対談 win-win > 第78回 伊藤 麻美さん

78 |
伊藤 麻美さん
|
|
|
13歳から"花嫁修業"でした
- 佐々木
今は、非常に地味にみえる、ちょっと失礼な表現かもしれませんが、伊藤さんの姿からは想像できないような業界で、企業を建て直したという実績を持つ有能な若手社長でいらっしゃるわけですが、社長として引き継がれる7年前に、お父様を亡くされたと伺いました。
- 伊藤
はい、23歳のときです。がんで亡くなりました。母は20歳の時に。
- 佐々木
えっ、お父様の前にお母様も?
- 伊藤
はい。母もがんでした。
- 佐々木
お母様が亡くなったのは、大学生。若くしてご家族が亡くなって、さまざま、不安なこともあったでしょう。ご兄弟はいらっしゃらないの?
- 伊藤
はい、一人っ子です。母は私が13歳の時に病気になって、既にかなり進行していたんですね。そのとき、私、「なんで自分だけ、こんな」って思ったんですよ。それまで、結構恵まれていたので、すごく甘やかされて育てられたのもあって。
あとから聞いた話だと、その時もう既に「あと1年〜1年半の命」と言われていたらしいんです。でも母は「私を一人残して死ねない」ということで、すごく頑張って、奇跡的に……。
- 佐々木
麻美さんが成人するまで。
- 伊藤
そうなんです。ちょうど20歳、成人するまで、というのを目標にしていたみたいで、だから、そういう意味では、なんとなく約7年間の間に準備ができてきて……。母は、いわゆる「お嫁支度」っていうんですか、お料理とかすべてを私に教え込まないといけないと思ったようで、13歳の時から特訓が始まったわけですよ。
- 佐々木
えっ! 13歳から、特訓?
- 伊藤
すごいスパルタで。うちの母はすごくお料理ができる人だったので、魚とか鱗を取るところからやるんですけど、私が鱗を取るのを「嫌だ!」とか言うと「鱗が嫌いな人はお魚を食べる資格がない」とか言われて。
- 佐々木
すいません(笑)。私、取れません。
- 伊藤
で、3枚におろすことから始まって。中学1年生ぐらいですかね。だから、そういう意味ではすごく叩き込まれたんです。
- 佐々木
ずっと、インターナショナルスクールでしたよね?
- 伊藤
はい。清泉インターナショナルです。
- 佐々木
清泉に行っているお嬢さんで、そんなことを親に教わって13歳でお料理している人、いなかったでしょう?
- 伊藤
いなかったですね。だから「なんで私だけ?」っていうのが。だから「あの子はなんとかなのに」などと言うと、「人は人」と母に言われて。でも、そういうのがあったから……。
- 佐々木
7年間で、大人になる準備をしっかりできた。
- 伊藤
そうですね、早い段階で仕込まれました。
2/24
|
 |

|
|