ホーム > 佐々木かをり対談 win-win > 第78回 伊藤 麻美さん

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伊藤 麻美さん
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面接会場を、椅子を蹴って出た。結果は……
- 伊藤
アメリカに行こうとは、その時は思っていなかったんです。ラジオとかマスコミの世界が、あまり魅力的ではないと思ったんですね。
- 佐々木
へえ、どうして? ディスクジョッキーをされていたんですよね?
- 伊藤
それが、どうしてディスクジョッキーをやりたいと思ったかというと……。ちょうどバブルの時に大学を出ているので、みんな、どこでも就職できたんですよね。みんな、結構いい加減な気持ちで(笑)。「お給料がいいから、じゃあ外資系」とか、全然、みんな真剣に考えないんですよ。
で、私もその一人だったんです。でも、「銀行とかデスクワークは絶対合わない」と思ったので、何の仕事に就こうかなと、ずっと考えていた時に、「好きなことを仕事にしたい」って思って。「音楽と宝飾が好きだから、どっちにしようかな」って父に言ったんです。父は、アクセサリーの製造会社も持っていたので、「宝飾なら、将来、手伝えるけど」って言ったら、「まあ、宝飾は年取っていてもできるから、音楽の道に進めば?」って言われて。でも、音楽の道って、どうやって進めばいいか分からないんですよ。
- 佐々木
そうですよね。
- 伊藤
レコード会社に入ったとしても、好きでもない演歌とかの担当になっちゃったら困るし、とか(笑)。で、そうしているうちに、なにを血迷ったか、「アナウンサーになれば、音楽を紹介できるかな」と思ったんですよ。で、TBSとフジテレビを受けたんです。
- 佐々木
私も受けました(笑)。
- 伊藤
ああ、受けました(笑)? 同じような部類だ。
- 佐々木
私は「筆記試験がないから受けてみれば?」って言われて、なにも考えないで受けました。
- 伊藤
TBSは最初が面接だったんですよ。で、いきなり原稿読みだったんですね。そしたら、漢字が読めなかったんですよ。最初の漢字でもう止まっちゃって、ずっと「ヨシラ……ヨシラ……ヨシラ……」って、3分ぐらい「ヨシラ」って言っていたら、真ん中の白髪の男性が、「これは、吉良上野介(きらこうずけのすけ)って読むんだ!」って(笑)。「こんなの読めないのは人間じゃない」とか、「おまえはなんとかだ、かんとかだ!」って。それ、放送禁止用語じゃないのっていうようなひどいことも、言われたんですよ。それで私は激怒して、いきなり椅子を蹴飛ばして会場を出ちゃったんですよ。
- 佐々木
すごい(笑)!
- 伊藤
そうしたら、もちろん落っことされるじゃないですか(笑)。それで、「ああ、なんか、アナウンサーは私向きじゃないな」と思って、もう、やめちゃったんです、途中で。だけど、やめたはいいけど、就職活動の時期はもう終わっちゃってるんですよね。で、「どうしよう」と思って。そのとき、「ああ、ラジオという手があった」って。ラジオなら、アメリカのDJは、自分で選曲して、紹介できるじゃないですか。
- 佐々木
ええ、できます、できます。私、アメリカのラジオ局番でDJしたとき、そうでした。
- 伊藤
だから、日本でもできるのかなと思って、それでオーディションを受け始めて、たまたま小林克也さんのアシスタントで受かって、そこからスタートだったんです。
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